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「俺の夢は“お客さんがどのステージも観なかった”っていうもの」【検証】フジロックが20年愛され続ける理由 ~SMASH日高正博編~

BARKS 7月16日(土)16時43分配信

フジロックが始まって今年で20年。フジロックに関わる様々な関係者に取材を試みて分かったことがいくつかある。ひとつは、フジロックは「自然と共存することに根ざしている」こと。つまり相手が自然なので、自分の都合だけで全てうまく行くわけではないということだ。雨も降れば強い日差しも注がれる。理屈よりも本能が優先されるシーンにも出くわすだろう。要するに、現代社会に飼いならされてしまった人にとって、自然回帰への強い自浄作用が振りかかる。それをセラピーと捉えるかストレスと捉えるか、あるいは心のデトックスと感じるか。人によって振れ幅は大きいものの、フジロックが人という動物に作用する効能は、想像よりもはるかに影響力があるようだ。つまりは人間力が顕になる非日常がフジロックという空間だ。

取材を通してわかったもうひとつに、20年もの歴史を重ねてもフジロックは未だ生みの親である日高スピリットにあふれているという点がある。数百のアーティストと十万人を超える音楽ファンによる年に一度の一大音楽祭りにもかかわらず、そのすぐ裏にはたった一人の日高正博という男の想いとこだわりだけでルールができている。そんなイベントをよく知る苗場の現地関係責任者は「フジロックの精神性は100年、200年続く価値がある」と明言したが、これがただ一人の男から発せられたものであるという事実もまた、見逃せないポイントだ。

日本人が持つ自浄作用をもって、音楽を愛する人々の性善説から自然発生的に成長を遂げたようにも見えるフジロックだが、そんな奇跡が勝手に起こるはずもなし。フジロックの魅力は、日高正博という人間の魅力にほかならないのは、疑う余地がないように見えた。フジロックとは何か…もちろん最後に行き着くべき取材対象は、株式会社SMASH代表取締役社長でありフジロックフェスティバルの創始者、日高正博氏だった。

快く取材を受けてくれた日高氏は、我々を自宅にまで招いてくれた。リビングでは、たくさんの犬と猫が自由に歩きまわっていた。


  ◆  ◆  ◆

■ 老後のためには大きな企業に勤めてお金は貰っておいたほうがいい。
■ けど、いい大学に行くためにいい高校に行って……これって、囚人みたいなもんだよな

──先日苗場で取材をしましたが、現地の方の「フジロックの精神は100年、200年残っていく」という言葉が印象的でした。つまりフジロックは我々より寿命が長いものであると。

日高正博:俺もそのインタビュー読んだけど、まぁ最初は俺達に対して「何者だ?」だったよ。そう思うのは当たり前だよな。俺も悪いことしか言わねえから。でも「地域と一緒になってやっていこう」というのが前提だし、そのためには何度でも足を運ぶよ。だってさ、「夏になったら勝手に人と機材がやってきて、そこで生まれた金も全部東京に持って帰る。残るのはゴミと騒音の跡だけ」なんて、あり得ないだろ。

──それは、1997年の天神山、1998年の豊洲の経験によるものですか?

日高:いやいや、それが普通でしょ。人の家におじゃまするんだもん。そりゃ、お土産持って行かなきゃいけないし、親しくさせていただくのが一番いいことだからね。そこは「イベントするから」とかじゃないと思うんだよな。俺は今までそうやって生きてきたから、おかげさまで友達だけはいっぱいいるよね。

──初回は富士の麓、2回目は東京でしたが、フジロックは山じゃなくちゃいけなかったんですか?

日高:いや、どこでもよかったよ。海の上だろうがなんだろうが。要は、日常生活から離れるっていうことが一番大切で、そこに理屈はないの。敢えて言うとね、俺が夢見ているフェスティバルというのは、自然の中でみんな一緒になって楽しんでいくというものなんだよ。だから山でも海でも川でもどこでもよかった。

──一番聞きたかった答えです。非日常を楽しめる場所であれば都心でもよかったですか?

日高:いや、都心はないよね。だって便利だもん。行くのがキツイとか、3日間過ごすためにはそれなりの装備が必要になるとか、自分なりの楽しみ方を見つけるっていうことが生まれないとダメだよ。俺は、子供の頃やったピクニックと同じだと思っているんだけどね。だって我々は、日常空間自体に凄く縛られているわけだから。こんなにストレスの多い国って世界にあんまりないと思うよ。

──便利に囲まれた日常ですが、不便さを求めてフジロックに向かうって、どういうことなんでしょう。

日高:俺はただ面白いことをやっただけだよ。誰かがやってたらやってなかったね、誰もやってないことだから。俺、本当になんでもかんでもひっくり返すのが好きなんだよ。子供の頃から親に逆らい、公に逆らい、勤めたらそこの社長に逆らった。別に逆らうために生きてきたわけじゃないけど「それ、おかしいなぁ、おかしいなぁ」って思って生きてきた。生活も便利になったほうがいいと俺は思うけど、でも便利に慣れてしまうと人間としての根本的な生活を考えなくなってしまう傾向がある。

──バカになってしまう?

日高:バカとかじゃなくて、なぜ成り立ってるのか?ということ。この前の東北の地震もそう。原発を作ることになったのは1960年代の高度経済成長の頃で、これからのために電力を供給する必要があるからやろうとなった。で、そこばっかりを夢見てきたわけだよね。俺は神様も仏様も信じないけど、そういうことやってるとろくな事ないんだよね。

──何が間違いだったんでしょう。

日高:俺は間違ったなんて言ってないよ。誰も間違ってない。敢えて間違ったことがあったとすれば、利益追求型の会社であったり、当時アメリカのニクソンと手を組んだ日本の政治だったりだよね。実は当時、何が起きたらどうなるかっていう“恐れ”に関しては一切説かれなかったんだ。ああいうものを作るのであれば、冷却のための水場がないと絶対いけないよね。そして、何かあった時の地元の人や労働組合に対する保障を、日本は結んでない。地域社会と働いている人達への保障が一切ないんだよ。でもそれに対して政府もなにも言わないし、やってる会社はもちろんそんなこと言わない。日本は保障に対する権利意識が非常に薄いよね。水俣病やイタイイタイ病、富士市にある製紙工場の廃水の垂れ流しがあっても、地元ではそこで何万人も働いているから何も言えない。おまけに、そこの社長がゴッホの絵を125億円で買って「死んだら棺桶に入れてもらうつもりだ」って言って海外のプレスからも叩かれた。それくらい金持ちも質が悪いんだよ。まぁ要は、便利になるっていうことはいいことなんだけど、でも人間の生活感としてそれだけでいいのか?っていうこと。「便利」は使うもので、使われちゃいけないんだ。

──そういう話は、若い時によく会話を重ねたものですか?

日高:それはあるよ。だって俺の周りは1960年代~1970年代安保の連中ばっかりだもん。一般論として、1960年代安保を戦った人は凄いなと思う。根性入っているからあの人達が司ってるところはあるよね。あれから40年以上経つけど、そういうことを経て今まで来ているよ。利口っていう言葉はイヤだけど、1960年代の高度成長から続いている歴史を振り返ることは大切だよ。「古きを訪ね新しきを知る」じゃないけど。そういうような気持ちにさせるかさせないか、そういう環境があるかないかなんだけど、今はないんだよ。

──ええ。

日高:これも一般論だけど、大きな企業に勤めて定年退職したら、老後のためにお金は貰っておいたほうがいい。けど、そのための逆算をしてるとしか思えないんだよね。いい大学に行くためにいい高校に行って、いい高校に行くためには塾に入って…。これって、俺に言わせりゃ囚人みたいなもんだよな。でも、善しとされてるわけ。そんなことやってたら国っていうものがおかしくなっちゃうと思うよ。自覚してやっているんだったらいいけどさ。

──でも若い時は生きることだけでがむしゃらだし、他人に差し伸べる余裕もないですけど。

日高:それが普通だと思うよ。だから、フジロックみたいなものが何故ああいうところで行われるのか、と。あそこに行って楽しむためには、相当自分を自己解放しないと楽しめないよね。自分が決めたバンドだけ観て帰ってくるっていうのは、インドアの人がたまたまアウトドアの空間に行っただけだから、それならあそこまで行く必要ないし俺らもやる必要ない。それなら東京ドームでやったほうが簡単だよな。駅から出たらすぐに会場に着いて「はい、ロッカーはここ、トイレはここ」「はい、座って観て下さい。終わったら終電に間に合いますよ」って(笑)。もちろん俺もドームや武道館でそういう仕事もやったけど、フェスティバルっていうものはそういうものじゃないと思ってるよ。

■ 当時、会社がある程度成り立っていたからやったんだろうね
■ …いや、会社を潰したかったんだろうな。俺の子供の頃の夢は銀行強盗だからね

──結果的に10万人が訪れる規模になりましたが、日高さんからすると当然の結果ですか?

日高:いや、そこまで行くとは思ってなかった。第一、20年目を迎えるなんていうことも考えてなかったもん。やりたくて始めたのが1年目、その時も翌年のことなんて何にも考えてなかった。

──ビジネスという観点ではリスクもずいぶん大きいですよね? 実際1年目に受けた台風という仕打ちは大きな誤算だったわけで。

日高:そりゃあね。天神山界隈の人と話してわざわざあの日程に決めたんだもん。「他の日は危ないけど、その日程ならば台風は来たことがない」って言われたから、考えていた日程からずらしたんだよ。

──それは皮肉ですね。

日高:でもそういう意味では、それでよかった。上から冷水ぶっかけられたわけだからね。チケットもソールドアウトしていたから、「お前ら調子に乗るんじゃねぇぞ」と言われた気がしたよ。できない悔しさもいっぱいあったけど、良い教訓だと思ったよ。

──そして自己解放できる自然の中での音楽と共生する苗場フジロックが誕生するわけですが、そうは言ってもその魅力が伝わらず、お客さんが来てくれないかもしれないという、ビジネスとしての難しさはなかったんですか?

日高:そこは俺も一応経営者だからね…ケタ違いの金がかかってるし。そりゃ「やろう!」と思っても「ちょっと待て。危ないぞ」っていう気持ちもあるよ。当時もう40歳過ぎていたし。だけど、自分の気持ちには歯止めがきかないっていうのが子供の頃からの俺の性格だから。当時、会社がある程度成り立っていたからやったんだろうね…いやたぶん、心理的な潜在下においては会社を潰したかったんだろうな。

──アウトローの血が騒いだ?

日高:アウトローまでは行かないけどさ(笑)。ま、俺の子供の頃の夢は銀行強盗だったからね。本当だよ。

──お金をたくさん手に入れたいっていうこと?

日高:いや、面白いじゃん!

──ふざけてるなぁ(笑)。

日高:アメリカの西部劇の時代だったら平気でやれたのになぁ、とか思ったよ。でも日本ではできなかったから、親父とおふくろが死んでからやろうと思った。両親が死ぬまでは、刺青と大きな犯罪はしないと決めてたからさ。まぁ話を戻すと、SMASHを立ち上げた時は、音楽業界に対して「なんじゃこりゃ」っていう気持ちがあったからね。「くだらん音楽ばっかりやって」って思ったし、レコード会社や放送局の業界内の馴れ合いも大っ嫌いでさ。

──音楽業界に対してストレスがあったと。

日高:そんなもんじゃないよ。頭に来てたよ。だから違うことやろうと思ってSMASHを立ち上げた。

──自分が好きな音楽が利用されているストレス?…どういう感情ですか?

日高:そんなことじゃないよ、システム化されちゃった慣れ合いの世界が嫌いなの。それによって新しいことが何もできない時代だったから、じゃあ好きなことやろうと思ったわけ。俺、音楽では自分に嘘つきたくないんだよ。嫌いな音楽には触りたくない。でもSMASHを立ち上げた頃は食えなくて酒ばっかり呑んでたなぁ。…ん? なんで酒はあったんだ?

SMASHスタッフ:酒だけはなんとか確保していたんでしょう。

日高:まぁそれで、ある程度会社が成り立つと、今度はぶち壊したくなるんだよね。

──悪い癖ですね。

日高:俺は健全だと思ってるけどね。そういう面を持たないとダメだよ。そういう面を持たないと、山一證券みたいに粉飾決算をやっちゃうことになる。

──守りに入るとダメになるのは自然の摂理ですね。

日高:フジロックは、始める2~3年前から温めていたんだよね。誰にも言わずジープに寝袋を詰め込んで日本全国あちこち廻った。

──心の中はワクワクなんでしょうね。

日高:本当に面白いよ。俺、キャンプ好きだしね。道具も何も使わずに、木を拾って火を焚いて炎を見ながら食事をして酒を呑む。ある時は星が出てるしある時は雨が来たりする。雨が降ってきても楽しいんだよな。外にいるのが好きなの。

──だからフジロックが生まれたのか。

日高:やりたかったことが何個かあった。いいバンドやアーティストを観て欲しいということと、「音楽はいっぱいあるんだよ」ということを伝えること。つまり、知らなかったものに触れて欲しいということ。若い人たちにアフリカから中南米からいろんな音楽を全部紹介したかった。あと民謡だよね。日本のもそうだし、スコットランドとかアイルランドやカリブの音楽だとか、そういうものを聴いて欲しかったし、東欧のジプシー音楽やジプシーライフみたいなものを見て欲しかった。もう1つは、山の中に慣れて、つい顔がほころぶような環境を作りたかった。

──どういうことですか?

日高:いわゆるムダだよね。ムダにお金を使う必要なんて本当はなくて、ステージだけバンっと作っちゃえばそれで済むのかもしれないけど、それ以外の要素が必要。歩いてたらニコっとしてしまうような風景だったりっていうものは、音楽と同じように大事だと思う。だからボードウォークをやることになったし、そこからフジロックの森が生まれて発達していったわけだし、そういう環境作りが一番大事だと思っている。何もないところにステージだけ作って「さぁ、観なさい」だけじゃ面白くない。だって俺、お客さんがニコーっと笑ってるの見るのが大好きなんだよ。俺の夢はね、「お客さんがどのステージも観なかった」っていうものなんだよ。ビールを呑んで草っぱらで寝っ転がってたらあっちこっちから音が聴こえてきて、いい天気で…それで楽しかったって思ってもらえたら成功だと思っているんだ。

──その精神性のフェスって、未だ他には見当たらないですね。

日高:まぁこれは独自のものだからね。他のフェスもよく知っているよ。<SUMMER SONIC>という都市型のものも必要だと思っているのね。こっちも非常に勉強になるし自分の反省や勉強になるから、いい対照があったほうがいい。日本の音楽を自分らの視点で見せている<ROCK IN JAPAN FESTIVAL>も、やっぱり渋谷(陽一)くんの感性が非常に働いているし、あとは北海道の<RISING SUN ROCK FESTIVAL>、<JOIN ALIVE>は、同じく日本の音楽を扱ってるけど好対照だよね。だからコンペティションっていうものは、お互いが刺激し合えるからいいことなんだ。それに<ARABAKI ROCK FEST.>も、やる前から彼らには相談を受けてたし、彼らの音楽に対する情熱を理解してるから応援してるよ。あとは、これはまだビデオで観てるだけだけど、福岡の海辺でやってる<Sunset Live>もいいよね。九州だけと見に来てくださいよ~って言われるんだけど、フジロック終わった後はなかなか行けないんだよね(笑)。まぁだから、俺は、“フェス文化”っていうものはいいと思っているんだよ。でもフェスティバルっていうものは、お客さんが選ぶものだからね。「いっぱいありますけど、どう思いますか?」ってよく訊かれるんだけど、別にどうとも思わないっていう(笑)。

──(笑)

日高:日本は、隣がラーメン屋やって凄く売れたら、自分たちもうどん屋やめてラーメン作るべ、みたいなのはよくあるよね。柳の下にドジョウが3匹ってこと。あっちが成功してるから俺らもやろう、そういう現象って当たり前に起こるよね。でも大切なのは、やる側に、「こういうことがやりたいんだ」っていうビジョンと、夢があるかどうか。そうしないと自然と淘汰されるよ。ま、俺達が淘汰されちゃうかもしれないけど(笑)。

──フジロックをリスペクトして「同じようなフェスをやりたい」と思う人が出てくるのは不思議じゃないけど、ホワイトステージに行く途中の崖があるにもかかわらずに柵ひとつ作ろうとしない…その精神性は真似できないと思う。

日高:さぁ。酔っ払ってコケて怪我した人間はいるけどね(笑)。

──その真意を問う労力を考えるととっとと柵を作ったほうが早い。他のフェスだったらとっくに安全のための柵が作られるに決まっていると思うんです。それでは第2のフジロックは生まれないよなあ、と。

日高:(柵は)いらねぇよ。自分の面倒くらい自分で見ろよ、酒呑んでボロボロに酔っ払ってそういう場所を歩くんじゃねぇ、というのが俺の答えだね。

──ありがとうございます(笑)。

日高:あんなもの大した金じゃないし、そりゃモノをただ作るのは楽だよね。でも、そうじゃないんだ。「自分で自分の面倒を見なさい」っていうのが一番にあるから、とにかく「自分の家まで無事に着いてくれ」ってお客さんに言い続けてきた。あとは「なるべくゴミを出すのはやめてくれ」くらい。そして、「自分で楽しみ方を見つけください」っていうことだよね。あれもダメこれもダメじゃ、まるで小学校の修学旅行みたいだよ。日本人って旗の下に集まるのが好きなんだよ、パックツアーってのがさ。ところで面白いTシャツ(レーナード・スキナード)着てるね。好きなの?

──好きです。

日高:俺、中野サンプラザで観たよ。メンバーが飛行機の墜落事故で亡くなった半年くらい前かな。

──え? 来日したことすら知らなかったです。

日高:もの凄くいい席を取ってもらったんだけど、前から3番目だったから音がいい感じで聴こえてこないんだ。左右のスピーカーの位置と結んでできる正三角形の角の位置が一番音がいいんだよ。だから俺は、そこから後ろに下がって自分がいいなって思う位置の席のお客さんと「交換しない?」って交渉するわけ。そうすると「うわー」とか言って喜ぶんだよね(笑)。凄くいいライブだったよ、今でも覚えている。間奏でさ、ドラム以外の全員が♪ツックタッタってブギー鳴らしてスリ足で前に出てくるんだよね、ボーカル(ロニー・ヴァン・ザント)が山高帽かぶってさ。ワァ~!ってなったよ。でね、後ろにベージュ色のピーヴィーのアンプがバーっと並んでいてカッコイイのなんのってさ。

──観たかったなあ。気づいたらもう(飛行機事故で)亡くなっていたから…。

日高:そうでしょう。俺、結構いろんなもの観てるよ。30歳過ぎてから海外が長かったからだけど、でも中野サンプラザで観たもうひとつの思い出というとボブ・マーリーだね。朝、朝日新聞見てたら、昼の15時から中野サンプラザでやります、ってたった1行の広告が出てたんだよ。俺、日本に来ている事も知らなかったから、ワァ~!ってそのままサンプラザに行った。もうそこはマリファナだらけよ(笑)。ボブも新聞紙みたいな大きいの吸いながら「♪get up stand up~」って、凄かったよ。結局、俺、キングストンの彼の家まで行ったもんな。リタ・マーリーとジギー(・マーリー)が応対してくれたな。

──うわー、いいなあ…。

日高:こういうの語り始めたら何時間でも話せるよ。

──そういった経験全てが、こういうフェスを行うことにつながっているんでしょうね。

日高:たぶんね。俺には見えてないけど、足の下深くのどこかにはあるんだろうね。

──その時に感じた喜びとか興奮とか。

日高:うん。目に見えない蓄積があるよね。まぁ、面白かったよ。

■ 銅像や勲章を欲しがる奴もいるけど、惨めだよね。何も学んでない
■ 俺は、「なんもするな」って遺言残す

──妄想話ですが、亡くなった人も含めたら、どんなラインナップでフジロックやります? 例えばジミヘンをヘッドライナーにするとか。

日高:1個なんて絶対選べないよ。そりゃジミヘンからプレスリーまで行くだろうね。それは俺の夢だよ。ジョン(・レノン)から、ボブから、そりゃいっぱいいるさ。そういう意味では特に今年ショックだったのは、まぁモハメド・アリのことはある程度覚悟してたけど、プリンスは参ったよね。(デヴィッド・)ボウイは体調が悪いって聞いていたけど、プリンスは「えー?」ってなって、その後のノックアウトパンチがモハメドだった。だからなんらかの形でデディケーション(追悼)はやろうかなって思っている。曲をやるとかっていうよりは、なにかできればってね。

──<FUJI ROCK FESTIVAL '16>で?

日高:写真1枚だけでも、なんらかの形でね。「ありがとう」だよ。ボウイにも「ありがとう」、プリンスに対しても「ありがとう」だよ。

──仕方ないことですけど、今後も毎年のように訃報は届くんでしょうね。

日高:いやいや、俺が先に死ぬよ。四捨五入すると100歳ですから(笑)。だって俺、フジロックを残そうなんて考えてないんだよ。

──でも、残っていくでしょう。

日高:そんな後のこと、俺は知ったこっちゃないよ。俺がいなくなった後は、誰かがなんらかの形でフジロックは残していけばいいと思うけど、でもそいつがやりたくないってなったら、それでいいじゃない。世の中ってそんなものだと思っているもん。そうじゃない人間が、亡き後をなんとか務めようとすると、ろくな事にならないんだよね(笑)。もしくはテメェの銅像を残すかだよね。偶像崇拝なんて冗談じゃないからさ、俺だったらおしっこ引っかけて夜中にロープかけて車で引きずりだしちゃうけど(笑)。

──日高さんが亡くなったら、日高さんの銅像が建つと思いますけど…まっぴらごめんですか?

日高:冗談じゃない(笑)。機関銃持って来い!だよ。バババババババーってさ。

──グリーン・ステージの横とかに建ちそうですけど(笑)。

日高:いやぁ、そんなこと考えたくもない。「なんもするな」って遺言残す。

──そうか、銅像は却下か。

日高:銅像や勲章を欲しがる奴もいるけどな。俺に言わせりゃ惨めだよね。国会議員に金配って、なんとか文化賞みたいなの貰って、田舎に帰ってパーティーやって勲章付けてさ。バッカじゃないの? 何も学んでないなコイツは…と思うね。

──フジロックって、地位も名誉も富も関係ない場ですよね。人間としての強さだけが存在していて、強い人間は弱い人間を助けてあげようという関係性しかないでしょう?誰ひとりとして「VIP扱い」される人がいないし、アーティストですらVIP扱いを受けていない(笑)。

日高:アーティストとお客さんっていうのはイコールなんだよ。俺らがやらなくちゃいけないのは「アーティストを安全に気持ちよく送り出していい演奏をしてもらう」ことね。もうひとつは「お客さんが楽しんでもらえるような環境を作る」こと。それってつまり、「いい演奏をしているアーティストにお客さんが反応してもらえるような環境を作る」ことなの。それだけだよ。凄い演奏をするとね、お客さんはワーッと熱狂してエネルギーがステージに返ってくるんだよ。それを受けたミュージシャンは倍くらいにして返すんだよ。それは形じゃない。目に見えないよ、感じるんだよ。アーティストから「こんなフェスティバル初めてだ! お客さんからエネルギーもらっちゃったよ」「なんであんなふうになったのか、自分がわけわかんない。俺、今日跳んじゃったよ!」って言われる。お客さんがニコニコ笑って観てくれているっていうのは、一番嬉しいことだよね。やってよかったって思う。

──であればこそ、アーティストをVIP扱いしそうなものだけど、フジロックはアーティストもお客さんも自然の中での人間力が試されてる気がする。

日高:うん。どっちかが上になるっていうのはおかしいよ。

──フジロックは今後も歴史を重ねていくと思いますが、まだやり残したことってありますか?

日高:そりゃいっぱいあるよ、言えないけど。

──それは、来年の目標ですか?

日高:いや、わかんない。できるかどうかわかんないし。まぁ、その質問の答としては「要は、満足したら進化はもうない」っていうことだな。自己に関して言えば、自分のアラ探しをしなきゃなんないし、もうひとつは、もっと夢を持つこと。その夢を実現できるかどうかはわかんない。でもそういうものを持ったほうが楽しいよ。俺が酒呑んで音楽聴きながらファ~ってなっている時なんか、みんなわかってるもん。「また日高が変なこと考えてるよ」って(笑)。

──これからも楽しみは続きそうです。

日高:「日高さん、ロックとはなんですか?」ってバカなことをよく訊かれるけど、俺はいつも「いや、ギター1本で歌う人も三味線1本で歌う人でも、歌謡曲であろうがなんであろうが、ミュージシャンにハートがあればロックだよ」って答える。バカなガキが髪の毛長くして、手袋して、ドラム、ギター、ベースでドンパカドンパカ下手な演奏してギャーッて叫んでるのがロックだとは絶対思わないし、そんなバンドには出てもらったことないと思うよ。

──そういう意味では、まだまだ出て欲しい人/出るべきアーティストってたくさんいそうですね。

日高:そりゃ、世界中交えると星の数ほどいるんじゃない?

──それで、ケミストリーが起こる。

日高:うん、英語で言うケミストリーだよな。あれは計算してできることじゃなくて、自然にできることなんだよ。化学方程式なんてないんだよ(笑)。

──そういうたくさんの体験が、フジロックを形作っているんでしょうね。もともと無類の音楽好きだったということですか?

日高:音楽も大事だけど、10代くらいの時にやっぱりもっと本を読むことだよね。いい小説、いい書物、あとはいい写真やいい美術。それといい人に恵まれること。自分とはまた違うものを持っている人達に出会うための環境だよね。音楽だけを素養にしてる凄いミュージシャンもいっぱいいるけど、世界のいろんな人と話をしていると、やっぱり色んなモノに対して興味を持ってるんだよ。俺はね、小学校で、図書館で過ごした時間が一番長いっていう記録を持ってるんだよ。英語喋れるようになったのも、映画と音楽から。あとマンガも好き。

──それは歳を取ってからでも間に合いますよね。

日高:もちろんそうだよ。人間は、自分が興味を持ったものに惹かれるっていうことに歳は関係ないよ。恋愛だってそうでしょ。年齢による制限は何もないっていうことだよ。

──面白い話だらけでした。人生訓がいっぱいで。

日高:ふふふふ。失敗の連続の人生訓(笑)。訓話(笑)。

取材・文:BARKS編集長 烏丸哲也

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フジロックを始めた動機を、「面白いと思ったからやっただけ」「誰もやってないことだったから」とあっけらかんと言い放った日高氏であるが、実際はこのフェスティバルに氏の強固な哲学が息づいていることをおわかりいただけたはずだ。その哲学とは“本当の自由”の追求と獲得だろう。もちろん、組織からも誰からも「飼いならされたくない」と人は思って生きているが、やはり現実的には、システムに取り込まれ、右に習っているのかもしれない。それは悲しくも無自覚のうちに行われてしまう。だからこそ、フジロックの会場にやっと辿り着き、山道を自分の足で踏みしめ、歩む道を選択し、未知の音楽と出会ったときに感じる紛れもない圧倒的な自由に、現代人は多かれ少なかれある程度ショックを受ける。話には聞いている「自由」というものがフジロックには確かにあるからだ。あるいは、本来あるべき姿に「戻ってきた」と直観する人もいるだろう。人として根源的なそういった感動や気付きがあるからこそ、音楽ファンも音楽に馴染みのない人も、芸能人も、日本のミュージシャンも海外のミュージシャンも、この時代に生きるあらゆる人にとっての理想郷となり得るのがフジロックである。

これまでお届けした今回の特集では、フジロックが20年間愛され続けてきた理由を紐解いてきたが、裏テーマは、それでも「敷居が高い」というイメージを持たれているのはなぜか?を検証することにある。ハードルとして挙げられるのが、金銭面、時間の確保、大自然という環境に対する不慣れさなどであるが、自分は果たして自然や自由を謳歌できるのか?という現代人ならではの心理的な問いも、障壁のひとつなのかもしれない。天候の移り変わりを当たり前のものとして受け止めること、あるいは、管理してもらえて安全なブロック制ではなく、フリースタンディングという観客の節度に委ねられた自由なライブ空間をいかに楽しむことができるのかは、すべて参加者自身にかかっているのだ。

「知らなかったものに触れて欲しい」と願う氏の心意気は、仲間を引き連れて未開の地へ導くガキ大将そのものであり、フジロックはその巨大な秘密基地だ。これまでその基地は丹念に作り込まれてゆき、メインステージ以外にも、ダンス・ミュージックをはじめとした高揚感あふれる音楽をまるで洞穴で体験しているかのようなレッド・マーキーや、僻地ほどの奥地に位置しまさに天国のような多幸感を全身で浴びることができるフィールド・オブ・ヘブンなど、フジロックのステージ演出は多様だ。そして、サーカスや映画やアートオブジェなど、音楽と関係ないものもわんさか体験できる。これらから成るフジロックを味わうことは、音楽の多様性を知ること以上に、“この世界の広さと深さ”を説く大将(注:日高氏のことをフジロッカーは親しみを込めて“大将”と呼ぶ))からの提示が具現化されたように映る。

そして今回の取材において──日高氏本人からは、「当たり前じゃん」と笑われてしまいそうだが、今もなお、自分のアラ探しをし夢を持つことを続けるという、人としての進歩的な在り方には、おおげさではなく、人生の可能性を教わったような気持ちを持つ人も少なくないだろう。念願だったというスウィンギング・ジャズのフルオーケストラ(FRF 20th SPECIAL G&G Miller Orchestra)を20回目のフジロックでやっと実現できることを、本当に喜々として話してくれた場面があったのだが、今もなおそんな純粋な夢を語り実現できることは、人生の醍醐味以外のなにものでもない。

そしていよいよ、20回目のフジロックがもうすぐ始まる。今回の記事を胸に、フジロックという生き方を、存分に楽しんで欲しい。

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<FUJI ROCK FESTIVAL'16>
2016年7月22日(金)23日(土)24日(日)
@新潟県 湯沢町 苗場スキー場
※各券種、受付などの詳細はオフィシャルサイトへ http://www.fujirockfestival.co

最終更新:7月16日(土)16時43分

BARKS