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日中戦争で戦死の父 77年の時を経て形見の懐中時計届く

両丹日日新聞 7月15日(金)8時0分配信

わが子誕生の半年で出征 そのまま帰らぬ人に

 「カチ、カチ、カチ」。京都府福知山市石原の井上秀代さん(78)の手の中で動く懐中時計。生後間もなくに戦死した父親が使っていたもので、今春、奇跡的に秀代さんの元に届いた。「この音は、長い年月を経て語りかけてくれる父の声のように聞こえます」

 秀代さんは1937年(昭和12年)秋、井上武雄さん、栄さん夫婦の間に生まれた。夫妻にとって初めての子どもだった。喜びもつかの間、翌年春に武雄さんは日中戦争へ出征し、日本を離れなければならなくなった。

 「大人になってから家族に聞いたのですが、出征する時、父はいとおしそうに、ぎゅっと私を抱きしめてくれたそうです」

 この年、武雄さんは爆弾の直撃を受けて帰らぬ人となった。

 秀代さんは、晩年になって、武雄さんと同じ中国の戦地で戦ったという綾部市の人に出会った。「部隊の中で福知山方面の出身者は自分と武雄さんの2人だけだったことから仲良くなっていた。武雄さんが爆弾で命を落とした時、何とか遺品を家族に届けなければと、遺体を火葬にしてのどぼとけを取り、持ち物と一緒に実家に届けた」という話を聞いたが、戦友が送ってくれた「持ち物」が何だったのかは、分からないままだった。

父の弟に育てられ

 実の父を亡くした秀代さんは、武雄さんの弟・寅治さんが育ててくれた。やがて栄さんと結婚して秀代さんの父親になった。「その後、子どもが生まれましたが、父(寅治さん)は私とほかのきょうだいを分け隔てなく育ててくれました」

 母・栄さんは2002年に他界。育ての親の寅治さんも10年に亡くなった。

 今年になって、寅治さんの遺した品を、秀代さんの弟の幸雄さん夫婦が整理していると、一つの箱が出てきた。中には、懐中時計と一緒に「昭和十三年 中支戦死の兄武雄の遺品」と書いた紙が入っていた。
 幸雄さん夫婦は「姉の実の父の遺品に違いない」と、秀代さんに届けた。時計はしんちゅう製で、目立った傷もなくきれいだった。秀代さんがふたを開けた時には動いていなかったが、そっとぜんまいを巻くと秒針が動き始めた。「その時、綾部の戦友の方が届けてくださった遺品は、この懐中時計だったのだと思い返しました。私のもとに届いてほしいという父の思いが通じて、いま手元にあるのでしょう」と感慨深げに話す。

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最終更新:7月15日(金)8時43分

両丹日日新聞