ここから本文です

[ルポ]ああ、私たちのハルモニ! また一人逝かれ…

ハンギョレ新聞 7月15日(金)18時44分配信

ストラスブール・ジュネーブキャンペーン

 ヨーロッパへの平和紀行の第一歩を踏み出した6月23日、国内ではもう一人の「慰安婦」ハルモニ(おばあさん)が亡くなった。そして最後のジュネーブキャンペーンの3日前、ストラスブールキャンペーンの2日前に、もう一人のハルモニが亡くなられた。ユ・ヒナムさん、享年87歳。忠清南道牙山(アサン)で14歳の時に日本の警察に連れて行かれ、天下にあってならない恥辱を日本軍に受け、戦線に捨てられたハルモニ。

 死より恥となる自らの日本軍性奴隷の事実を証言したハルモニ238人のうち、残された人は40人しかいない。昨年に9人が亡くなられた後、今年になりすでに6人がこの世を去った。ハルモニたちの死を知らせるニュースが相次いでいる。1239回目の水曜集会、世界の連帯デモとして行われた13日のスイス・ジュネーブの国連事務局前であったキャンペーンの出発が、特に物静かで重々しい雰囲気だったのはそのためだ。ヨーロッパ大遠征を終了するイベントだったにもかかわらず、それまであった溌剌さの代わりに深い哀悼の中で行われた。

 歌謡「嘉時理(カシリ)」の低く深い旋律が広場を悲しみに包み、一行はとても長い黙祷を捧げた。被支配というより、その経験が多い現地の人には、その意味には容易に近づけないだろうが、一行の粛然としたムードは噴水台のしぶきのように軽かった広場を厳粛にさせた。

 広場の象徴となった造形物の「壊れた椅子」は、権力者の貪欲さによって、体が壊れ、魂が踏みにじられた彼女たちの平和と同じようなものだった。四つの脚のうち一つでも折れたら倒れてしまう椅子。それは地雷に足を吹き飛ばされた者たちの挫かれた人生であり、戦争で親や子や兄弟を失った者たちの裂かれた魂であり、日本に強制的に連れて行かれ、日本軍の性奴隷の役割をさせられた植民地の少女の夢だった。一生自虐と恥辱と侮辱の中で耐えてきた人生である。平和はそのように権力と武力の前で簡単に挫かれ壊れていった。

 そんなハルモニたちの夢は、そんな支配と抑圧、戦争犯罪と人権蹂躙がない世の中だった。そのために死より辛い恥辱を甘受し、自分の体と魂を歴史の法廷に戦争犯罪と人権蹂躙の証拠として差し出した。しかし権力は今も、彼女たちの悲願を無視し、黙殺し、勝手な裁断をする。朴槿恵(パククネ)政府と安倍政権が結んだ「12・28」日本軍慰安婦合意は、まさにその象徴だった。「希望の蝶」のジュネーブ水曜集会はその現実を想起させ、もう一度、日本政府の公式謝罪と法的責任の認定、そして12・28合意の撤回と世界の人の関心と支持を訴えた。公式の世界の連帯の水曜集会が終わりキャンペーンが始まり、「蝶の夢」の快活さと溌剌さは戻ってきており、広場は蝶の羽ばたきのような歌とリズムで埋め尽くされた。

 同日、ジュネーブ・キャンペーンで2回の海外水曜集会、6回のキャンペーン、16都市で行われた1人デモが行われた2016年ヨーロッパ平和紀行の旅程は終わった。国連人権理事会がある国連のジュネーブ事務所の象徴性ゆえに、蝶の夢は未明にフランスのストラスブール付近のクェビルレキャンプを出発し、5時間かけてジュネーブに来ており、イベントが終わるとすぐクェビルレキャンプに戻った。旅程を合わせると出発地パリからここまで5500キロの大遠征だった。

 前日の12日には、蝶の夢の5番目のキャンペーンがストラスブールのノートルダム大聖堂前の広場であった。チェコのプラハからドイツのフライブルクを経て一行が到着したアルザスの州都ストラスブールは、フランスとドイツの覇権戦争の中で支配者が5回も変わったところだ。アルザス人は両国のどちらに属すことも望まない、あくまでも「アルザス」であることを願った。しかし、二つの覇権国家に挟まれていたために神聖ローマ帝国(ドイツ)に合併されたが、フランスのルイ14世の治世でフランスに帰属され、19世紀の普仏戦争でドイツ領土となり、第1次世界大戦後にフランス領となった後、第2次世界大戦の際に再びナチスドイツの支配を受け、終戦と共にフランスに譲渡された、アルザス人にとりとても悲しい歴史がある土地だった。アルザス人には自分の言葉があり、完全にこの言葉と文章を書きたかった。そんな彼らにアルフォンス・ドーデの小説「最後の授業」は一断面、一方の悲しみを描いたものに過ぎなかった。

 ヨーロッパ人がストラスブールにヨーロッパ連合の最高決定機関である欧州議会を置いた理由は、そこにある。曖昧な国境と権力者の貪欲さにより絶えず戦争の惨禍を経験してきたヨーロッパの民衆にとり、最も大きな夢は平和であり、その夢が最も象徴的に蹂躙され、その夢が最も切実な場所が、まさにストラスブールだった。

 そんなストラスブールの歴史のためか、ここに住む同胞の僑民は100人余りに過ぎないが、蝶の夢キャンペーンに熱烈な支持と連帯を示した。イ・オウン・アール・デコ教授は広場でキャンペーンが開けるよう行政措置を事前にとってくれたし、留学生のキム・デイルさんは一行のガイドの役割を、遠くドイツのミュンヘンから訪れたクレア・ハムさんは、連帯の発言を通じ「慰安婦被害者の正義と名誉を回復するため地球の反対側からの遠来の希望の蝶」たちを暖かく激励した。

 ハムさんは「このような行事をする度にハルモニたちが一人ずついなくなることに胸を痛める」、「いったい830万ドルでどうやってハルモニたちに、あの悲惨に踏みにじられた人生を補償でき、人類の戦争犯罪を帳消しにすることができるのだろうか」と憤慨した。また、「ハルモニたちの正義は単純だ。日本政府の公式謝罪、法的賠償、歴史教科書記載や学校教育だ」とし、「1分でもハルモニが生存している間に、ハルモニたちの正義が貫かれるようにヨーロッパでも連帯していく」と話した。

 現地同胞にハルモニたちは「裂け、壊れ、破れた体で私たちの面倒を見てくれる」私たちの母親(ノートルダム)だった。

ジュネーブ・ストラスブール/クァク・ビョンチャン先任論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:7月15日(金)18時44分

ハンギョレ新聞