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汚名返上を願う! 豊臣秀次は地元に愛される名君だった

ITmedia ビジネスオンライン 7月16日(土)8時35分配信

編集部F: 先週(7月10日)放送の『真田丸』では、小日向文世さん演じる豊臣秀吉が何度も鬼の形相を見せました。豊臣家に拾(後の秀頼)が生まれ、いよいよ狂気の度合いが増してきましたね。

【山中城跡と歴ドル・小日向えりさん】

小日向えり: 秀吉は、若いときは才気あふれる人物なのですが、晩年は老害といいますか、秀頼かわいさでおかしくなっていくのが少し残念ですね。私は“ブラック秀吉”と呼んでいます。

編集部F: そして、その矛先は、秀吉の甥っ子であり、関白の豊臣秀次に向けられます。ドラマでの描かれ方だと、秀吉の横暴ぶりもすごいですが、秀次も秀次で、もっとシャキッとしなさいよと感じなくもありませんでした。ただ、弟の豊臣秀保が亡くなったのに、喪に服すどころか、それを隠せと秀吉に言われたのはさすがに辛すぎますよね……。

小日向: 秀次はとにかく可哀そうな人でした。小早川秀秋や千利休などとともに、「秀吉被害者の会」のトップメンバーですよ。

 晩年には“殺生関白”というあだ名が付けられました。その理由は、殺生が禁止されている比叡山で狩りをしたり、妊婦のお腹を裂いたり、民を的にして弓矢で射たりしたからとされています。そのほかにもいろいろと酷いエピソードがあり、それらによって秀吉から切腹を言い渡されたのが定説になっています。享年28歳です。私と同い年で死んでしまうなんて……。

 けれども、こうしたエピソードは多分でっち上げで、邪魔になったから何とか切腹に追い込むために、悪事を働く暴君に仕立て上げたのだろうと私は思っていました。ただ、真田丸を見ていると、秀吉も秀次に期待はしていて、でもなかなか応えられない秀次。堂々としていない秀次に苛立ちが募っていったのかもしれないなと考えさせられました。

編集部F: 真田丸で新納慎也さんが演じている秀次は、とても悪い人には見えませんからね。

小日向: きりちゃんといい感じですし! 私がずっと思い描いていた秀次のイメージそのままです。天真爛漫で、本当に純粋な人だったのではと思います。

編集部F: 秀次は、秀吉の姉の子どもですよね。年齢的にも生まれながらボンボンだったわけではなく、小さいころはそれなりに苦労していますね。

小日向: そうですね。秀吉が権力を握った後は、その七光りをもっと振りかざすことはできたのでしょうが、実は秀次は戦(いくさ)を頑張っているのです。

編集部F: へー、そんな印象はありませんでした。

小日向: 戦績を見ると、活躍した合戦も多いようです。例えば、北条氏の小田原征伐の際、現在の静岡県三島市にある山中城を大将として半日で陥落しました。先日、私も山中城に行きましたが、いろいろと考えて築かれた堅固な城でしたよ。

 また、秀次と親交の深かった公卿の山科言経によると、秀次は能や茶道に通じ、連歌を好む風流も持ち合わせており、何よりも争いごとを好まない人物だったようです。

編集部F: すごく立派な人じゃないですか!

小日向: まだまだありますよ。秀次が近江八幡の城主を務めていたとき、「楽市楽座」を施行したり、城の防御である八幡堀を琵琶湖とつないで往来する船を寄港させたりするなど、町の繁栄の基盤を作りました。だから実は今でも地元では名君として慕われているのです。

編集部F: 現在でも地元で人気があるというのが何よりの証拠ですね。秀吉は惜しい人物をなくしましたね……。

小日向: 一般的には石田三成が秀次を取り調べして追い詰めたと言われていますが、三成も同じ近江衆として助命のために尽力したという説もあります。私は後者を信じます。

 それを示す史実として、秀次の死後、舞兵庫(前野忠康)をはじめ「若江八人衆」と呼ばれる優秀な部下を三成が引き取りました。そして彼らは関ヶ原の合戦で最後まで石田軍のために必死で戦いました。

 この「秀次事件」によって、その後の行動が変わった人も少なくありません。例えば、最上義光の愛娘である駒姫は秀次の側室になりましたが、結婚してまだ顔も合わせていないのに、連座させられてしまいました。義光は必死で助命嘆願するのですが許されず、愛娘を殺されてしまったのです。その結果、最上家は関ヶ原の合戦で徳川家康率いる東軍についたのだと思います。

 藤堂高虎も8回くらい主君をコロコロ変えている節操ない武将ですが、秀次事件の後、「もうやってられない!」という感じで家康に仕えたのではないでしょうか。

編集部F: いろいろと波紋を呼んだ事件ですね。明日の放送で、秀次の最後はどんな描かれ方がされるのか――。

最終更新:7月16日(土)8時35分

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