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「なぜ人は機械に負けるのか?」 金融システム白熱教室第3回

ZUU online 7/17(日) 8:10配信

人工知能やロボアドバイザー、アルゴリズムトレードなどの「機械」を介した最先端金融工学に注目が集まるようになると、必ずと言っていいほど起きることがある。機械に対する過大評価だ。

膨大な情報を寸分違わぬ精度で高速に処理する機械が人を凌駕することは当たり前だと思い込む人が増えるわけである。

機械の進化によって今までの私たちにはできなかったことができるようになることは間違いない。ただ、「機械がすごいから人間が負ける」と短絡的に結論づけることは私からすれば思考停止であり、言い訳にしか聞こえない。

なぜなら金融市場では機械があろうとなかろうと、人間が必ずしも正しい判断を下しているとは言えないからである。

■リスクを知るための確率・統計

今回は「なぜ人は機械に負けるのか?」という問いに答える形で、金融数学(フィンマス)の基本である「確率・統計」について解説したい。

「自称文系」のビジネスマンの多くにとって、確率・統計は数学で挫折するきっかけになりやすいジャンルだ。だが、嫌いとばかり言っているわけにもいかない。お客様の財を預かる金融の本質はリスク管理であり、そのリスクを計算するツールが確率・統計であるためだ。

よってこれからフィンテックに関わりたいと思っている人はその考え方だけは最低限、肌感覚で理解してもらいたいと思う。数式を覚える必要はない。実際の計算は、それこそ機械に任せれば良い。

■負ける理由(1)少ないサンプルに規則性を見出そうとするから

確率・統計を知る第一歩は、統計の意義を理解することである。

たとえば赤と青のサイコロが5セットあり、赤は1/2の確率で、青は1/3の確率で当たり目が出るとしよう。そして実験者5人で赤と青のサイコロを決められた回数だけ振り、当たり目が出た確率を記録していく。

まず5人が2つのサイコロを「1回ずつ」振ったとする。色を伏せるために仮にAとBとすると、5人のそれぞれの当たり目が出た確率はこうなった。

サイコロA:100% 0% 0% 0% 100%
サイコロB:0% 100% 100% 0% 0%

1回しか振っていないので当たり目が出た確率は100%か0%。上の表を第三者が見ても、どちらのサイコロが赤なのか分からない。

では10回投げてみよう。

サイコロA:40% 50% 60% 50% 30%
サイコロB:40% 50% 30% 20% 30%

もしかしたらAが赤なのではと思えてくる。

100回ではどうか。

サイコロA:45% 58% 52% 55% 47%
サイコロB:35% 28% 36% 25% 31%

ここまでいくとかなりの自信を持ってAが赤で、Bが青であることが読み解くことができる。

このように確率的な事象は少ないサンプルではわからないが、サンプルが増えるにつれはっきり見えるようになる。これを数学の世界で「大数の法則」と言う。

大数の法則が機能するのは同じ条件でサンプルを集めたときだけである。では、果たして金融市場で「同じ条件」はありうるのか? 厳密に言えば、ありえない。しかし「できる限り同じ条件で、多くのサンプルを取ろう」という意識を持ち続けることが重要である。

ただ、ここに大きな落とし穴がある。人の思考バイアスである。

例えば雇用統計が発表される日の株価の値動きを予測するとき、多くの人は過去に雇用統計が発表された日のサンプルばかりを集めてくる。しかし、実際の市場の値動きはそこまで単純ではない。その日に至るまでの値動きも大きく影響するわけであり、こうした「数字の裏に潜む関係性」は、外的要因が大きく変化しやすい金融市場においては無尽蔵に存在する。

よって「同じ条件」に少しでも近づくためには、予測する目的を明確にしたうえで、サンプルに偏りがないか、つまり自分の思考にバイアスがかかっていないかを常に意識する必要がある。

■負ける理由(2)「異常値=起きないもの」だと思い込んでいる

「100年にしか一回しか起きないと言われていたことが起きた」。世界最大手の投資銀行であったリーマンブラザーズが2008年に破綻したとき、経済評論家がこぞって使った表現である。

「100年に一回」と聞くと多くの人は「100年後に起きる」と思い込む節がある。しかし、確率とは周期の話ではない。数百年起きないこともあれば、逆に10年後に起きることもありうる。

そのことを世間に広く知らしめたのが、認識論の研究者であるナシーム・タレブ氏が書いた『ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質』という本だ。日本でも金融工学のプロたちがこぞって読んだ名著である。彼の主張をすべて受け入れる気はないが、彼はこの本のなかで非常に興味深い指摘をしている。

それは「世の中で起きる事象は、大半の金融関係者が思っているような正規分布ではなく、レヴィ分布で起きている」ということだ(彼はこの理論を用いてノーベル経済学賞受賞者のウィリアム・シャープとハリー・マーコウィッツを「旧来の金融工学に凝り固まったインチキな薬売りだ」と痛烈に批判した)。

正規分布とは富士山のシルエットをイメージしてもらえれば良い。中央の山頂から左右に裾野が広がり、やがて水平線と同化する。一方のレヴィ分布は、一時期流行したタジン鍋の蓋のようなシルエットだ。中央の山頂部は急角度でそびえ立つ変わりに、中央を離れてもなかなか水平線と同化しない(私の説明で理解できない場合は「レヴィ分布」で画像検索をしていただきたい)。

この分布の仕方は何を意味するかというと、正規分布では「極端な異常事態は起こらない、または考慮する必要がない」と考えるが、レヴィ分布では「そこそこの頻度で起きる」と考えるということである。

インターネットの普及による情報伝達の高速化や個人投資家、外国人投資家の増加などによって、市場の不確かさ(ボラティリティ)はもはや予測不能なレベルになってきたことを考えると、「異常なことでもそこそこの頻度で起きる」という氏の意見に私も賛成である。

この後者の考え方を、レヴィ分布の左右の端が「太い尻尾」のように見えることから「ファットテール」と呼ぶ。物事のファットテール性を理解していないと「異常値はあくまでも異常値であって考慮する必要はない」と誤った解釈をしてしまう可能性が高い。

先ほど金融の本質はリスク管理だと述べたが、実際に金融機関がリスク管理として行っていることはリスクを数字(VAR=Value At Risk)に置き換え、仮に損をしてもその分を補填できるように余力を残すことだ。

しかし、その定量化にあたって今でも金融機関が重視するのはレヴィ分布ではなく正規分布である。そうである限り、金融市場がリーマンショックと同じ過ちを犯す可能性は否定できない。金融サービスの変革期にあるいま、こうした古い考え方も変えていく好機なのかもしれない。

■負ける理由(3)「原点回帰」は必然だと思っている

運用で失敗する人の共通点は、何かの金融商品に投資して元本割れを起こしたときに「もう少し待てば元本まで戻るだろう」と期待することだ。しかし、そこには数学的な根拠はない。

本記事の画像に描かれているチャートを見てほしい。Y軸は価格で、0は原点(元本)。X軸は時間軸だ。このチャートだけを見ると、一時期下降トレンドにあった銘柄が、何かの報道をきっかけに再上昇をはじめたようにも見受けられるだろう。

実はこのチャート、先ほどの1/2で当たり目が出る赤いサイコロを何度も振って、当たり目が出たら1円分上昇、ハズレたら1円分下降するルールで記録を取ったものである(こうしたグラフのことを数学では「ランダムウォーク」と言う)。

ここで注目すべきは、最初の数十投では原点をまたぐことがあっても、50投以降は一回も原点に戻っていないということである。しかもこのチャートは決して異常値ではなく、逆にプラスで推移する場合でも原点に戻ることは稀なのだ。ランダムウォークのシミュレーションを行えばすぐに分かる。

値動きが1/2の確率で起きると聞くと、そのグラフはきっと原点の前後で推移するだろうと思うのがごく普通の人の感覚だ。しかし、実際、そのような事態が起きることは滅多にない。これが「ランダム性」の正体である。

ランダムですらこうなのであれば、実際の市場の値動きにおいては、元本割れしたものに対して原点回帰を期待することに合理性はない。

多くの投資家が損切りを苦手とする理由はここにある。金融市場では儲かりそうな商品を見つける才覚よりも、正しく損切りができる能力の方が圧倒的に重要であると言っても過言ではないのだ。

■人間は自分の心に負けている

今回紹介したことは確率・統計のさわりである。ただ、少なくとも確率・統計の考え方が一般人の感覚とは若干異なるという事実だけは理解してもらえたはずだ。

なぜ人は機械に負けるのか?

その主たる原因は人間が確率的に不合理な判断を平気で下すからである。統計とは呼ぶに値しないデータに頼ったり、リスクの定量化で大前提を見誤ったり、チャートの動きに淡い期待を寄せたりするからである。きつい表現をすれば、自分の心に負けているのだ。

機械に対して過度の期待を寄せる前に、人間がなすべきことはまだ残されているのではないだろうか。

尹 煕元(ゆん ひうぉん)
CMDラボ代表。慶應大学院博士課程修了(工学博士、数値流体力学)。証券会社にてトレーディング業務などに従事。2007年に最先端金融工学の開発・研究を行うCMDラボを立ち上げ、金融データの分析や可視化など先駆的な取り組みを続けている。デジタルハリウッド大学大学院「サイバーファイナンスラボ・プロジェクトhttp://gs.dhw.ac.jp/event/160616/」主幹。同ラボの次回ミートアップは8月4日を予定。

(FinTech online編集部)

最終更新:7/17(日) 8:10

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