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PLの名将 中村元監督が激白「一番印象に残っているのは…」

東スポWeb 7月17日(日)11時1分配信

 名門・PL学園が15日、第98回全国高校野球選手権大阪大会の初戦の2回戦で東大阪大柏原に、6―7で敗れた。2015年度から新入部員募集を停止しており、3年生だけで臨んだ夏が終了したことで今後は休部状態となる。1980年秋からチームを率い、18年間で6度の甲子園優勝に導いた名将・中村順司元監督(69)が当時を振り返り、PL学園への思いを語った。

 ――“最後”の選手たちへの思いは

 中村氏:大阪大会前の6月16日にそっと練習を見に行ったんです。体の使い方や追い込まれた時の打撃、グラブの使い方、技術の話をしたらよく理解していましたよ。選手は悲壮感なく、一生懸命やったと思います。

 ――監督生活で一番思い出に残ることは

 中村氏:81年の春、僕は監督として初めて甲子園に出場しました。「逆転のPL」と注目されていた中、印旛(千葉)との決勝戦。試合前に主将の吉村禎章(元巨人)たちに「今日は泥んこになって暴れ回れ!」と話したら、みんなが甲子園の土を顔に塗りだしたんですよ。それで9回サヨナラ勝ち。吉村が優勝旗を汚れた顔で受け取った姿が印象に残ってますね。

 ――指導のモットーは

 中村氏:ケガをさせないこと。体を正しく使うことで故障をしない。高校で野球を終えるのではなく大学、社会人に行ってもずっと続けてほしいですから、そのために高校時代に体をつくる。故障につながる要因はどこかにある。僕はコーチ時代にカイロプラクティックの勉強をしたんで、それが基本ですね。

 ――人間形成では「球道即人道(きゅうどうすなわちじんどう)」を理念にしていた

 中村氏:2代教主が野球部に贈った言葉で、これを伝えることが僕の仕事と思った。献身的な部分、犠牲的なことが必要。野球には人間社会の縮図がある。カバーリング、声の掛け合い、励まし、1つの勝利に全員で向かっていく。バッテリーも夫婦に例えられるし、家庭、会社においてもそう。PL時代に勝てたのは選手がそれをできていた。選手のおかげですよ。

 ――83年夏に1年生で全国制覇を達成した桑田、清原のKKコンビについては

 中村氏:桑田は線が細くて目立たない感じだったけど、ユニホームを着たら変わった。例えば遠投でホームベースからライトのポールに向けて投げるでしょ。みんな92メートルのネットを越えようと高く投げるんだけど桑田は低いボールを80メートル以上投げた。「もっと高く投げろ」と先輩に言われても低く投げる。小さいなりにどう表現するかを考えていたんですね。寮にはでかい選手がたくさんいるし、平均して体力がない。ならそういう連中にどうしたら勝てるか、を考えていた。食べ物も気を使っていたし。この時期は走らないといけないとか、ブルペンでも少ない球数であってもテーマを持ってやっていましたね。

 ――清原は

 中村氏:体がでかいし打てば飛ぶ。でも、引っ張ろうとする気持ちが強かったので、センターに打ち返す打ち方が必要じゃないかと言ったら、その通りにしたし、チーム打撃もできていました。

 ――叱ったことは

 中村氏:一度だけ。オールジャパンで韓国遠征に行った時、金浦空港で厳しく怒った。当時、彼は2年生で帰国したら秋の大会がある。なのに観光気分で3年生と騒ぎまくっていたので「お前、帰ったら選抜につながる大会があるやろ。ヒットも打てへんかったし、帰ったら覚悟しとけ」と。去年、30年ぶりに会ったんですけど、彼も覚えてましたよ。

 ――性格的には

 中村氏:ああ見えて繊細なんです。1年生の夏の大会で神経性の下痢になって鍼(はり)の先生を呼んで治療しました。その後、3回戦の時によけたバットに当たってヒットになって、それで立ち直りましたね。

 ――覚醒剤で有罪判決を受けた現在の彼に言いたいことは…

 中村氏:我々も何か手を差し伸べないといけないんでしょうけど、我々がやると彼が苦しむかもしれない。大魔神の佐々木(主浩)くんに「よろしく頼むね」とお願いしてる。どこかで会えばまた激励したいとは思う。

 ――何と声を掛けたい

 中村氏:3年春に伊野商(高知)の渡辺智男くん(元西武)に3三振を食らって敗れ、彼は涙を流した。寮に帰って選手に「夏に頑張ろう」と話した後、しばらくして雨天練習場から金属音が聞こえてきた。悔しかったんでしょう。清原がマシンを打っていた。その気持ちで毎日200~300スイングした。その夏、伊野商は中山裕章くん(元大洋=現DeNA、中日)の高知商に敗れたんです。清原はその中山くんからレフトに推定140メートルの本塁打を打った。あの時の気持ち、努力を思い出してほしい、と伝えたい。あの気持ちで立ち直ってほしい。

 ――先輩後輩の上下関係は当時から厳しかった

 中村氏:僕も経験した一人。1年が寮に入ると先輩がいろんなことを教える。そうすると1人の選手につくわけです。全体練習後の自主練習で1年が2年にトスを上げ、2年が教える。それが上下関係としてつながってくる。食事や風呂の用意もそう。お客さんが寮に来られた時、立浪和義(元中日)に「風呂の用意してこい」と言った。お客さんが風呂に行くと椅子の上にせっけん、ナイロンタオル、シャンプーが置いてあった。「ああ、これがPLの強さか」と思ったというんです。いい面があるんです。

 ――しかし、相次ぐ暴力事件が休部の引き金と言われている

 中村氏:時代とともに変わっていったところもある。ちょっと殴ったり「バカヤロウ」とか「アホ」とか言い方ひとつでもいろんな受け取り方がある。親しみと取ったり、侮辱と取ったり。それが各県から集まれば言葉のズレがあるし、大人が入れない子供の世界もありますよ。時代の違いもあるし、全寮制がなくなって一般生徒との間でギクシャクもあるのかもしれない。

 ――今後については

 中村氏:部員募集再開を願っています。校歌に「永遠(とわ)の学園」という歌詞があるんだから。名物の人文字もベンチにいたら見えないんですよ。いつかスタンドから人文字応援を見たいですね。

 ☆なかむら・じゅんじ 1946年8月5日、福岡県生まれ。PL学園高を経て、名古屋商科大に進学。社会人野球でプレーした後、76年からPL学園のコーチを務め、80年秋に監督に就任。81年春の選抜で優勝し、84年の選抜決勝で敗れるまで甲子園20連勝をマークした。98年選抜を最後に勇退するまで、春夏ともに3度優勝。甲子園での通算成績は58勝10敗。現在は母校・名古屋商科大学硬式野球部の総監督を務めている。

最終更新:7月17日(日)11時10分

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