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<難解地名>「耳原」「宿久庄」読めまっか?大阪・茨木

THE PAGE 7/18(月) 12:12配信

主原、粟生岩阪、南耳原、西太田町 読めまっか?

 読みにくい地名を読み解きながら、地域の歴史文化を味わう大阪難解地名シリーズ。梅雨の合間を縫い、難読地名を求めて大阪府北部の茨木市を目指した。茨木は山や川が変化に富んだ情景を作り出し、古墳時代からの歴史を刻む。主原、粟生岩阪、南耳原に、西太田町。はたしてどれだけ正確に読めるだろうか。

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阪急京都線の南側に広がる古い地名「主原」

 茨木市南部を駆け抜ける阪急京都線。淀川右岸の阪急沿線で、大阪・河内エリアに鉄道網を広げる近鉄グループの近鉄バスが、路線バスを運行している。

 私鉄王国・関西を盛り上げてきた関西私鉄勢のバイタリティあふれる情景だ。阪急電車が通過していく線路沿いの南側に設置されているのが、近鉄バス「主原」停留場。「主原」と書いて、「あるじはら」と読む。

 主原町は旧茨木村に属する古い村名を今に伝える。13世紀の古文書に、村の田んぼの一部が勝尾寺(箕面市)に寄進された旨の記述が残る。筆者が訪れた当日、子どもたちが太鼓を打ち鳴らす太鼓みこしが、町内を練り歩いていた。

町名は3文字の「沢良宜」で氏神様は4文字表記

 茨木川の改修工事に伴い、1949年(昭和24)に廃川となった旧茨木川の河川敷が元茨木川緑地として整備され、1年を通じて市民のいこいの場になっている。主原町から緑地を散策しながら西へ向かう。

 田畑を潤す河川は、豪雨になると一転して大水害を引き起こす。大阪では治水のために、淀川や大和川などで川筋そのものを修正する付け替え工事が断行されてきた。茨木川改修も昭和の付け替え工事だった。

 緑地の一隅で「沢良宜東池樋跡」の石碑と出合う。「沢良宜」は「さわらぎ」と読む。樋とは川の水量を調節する水門で、沢良宜東池樋跡は旧茨木川時代の記憶を宿す。沢良宜は現在、沢良宜東町や沢良宜西などの町名で使用され、地元の氏神様は漢字4文字で「佐和良義神社」と書く。

静かな里山「粟生岩阪」酒造米の名産地「宿久庄」

 茨木市北西部の「粟生岩阪」。読み方は「あおいわさか」で、鉢伏自然歩道のコースにも選定されている静かな里山だ。「粟生」を「あお」とは読みづらい。

 元々は粟の栽培が地名の由来だろうが、18世紀末の記録をひもとくと、コメやオオムギ、コムギの他、村民が栽培していた農作物が列記されている。ナタネ、ソラマメ、ダイズ、タバコ、ウメ、リンゴ、ウド、モモ、カキ、マツタケなどだ。

 山間部は水田に適した農地が少ない。稲作に頼れない分だけ、多様な農産物を組み合わせてしのぐ工夫を凝らしていたのだろう。今も豊かな自然を受け継ぐが、少し下ると、新しいまちづくりが進む彩都エリアへ。大阪モノレールで都心とも直結している。

 粟生岩阪の南東に広がる「宿久庄」は「しゅくのしょう」と読む。宿久の村に中世、荘園である宿久庄が成立し、村名になったとみられる。

 ただし、史料を総合すると、宿久は「すくのむら」「しくのしょう」「しゅくくのしょう」などと、いろいろに読まれていたようだ。北摂地方は酒造りが盛んで、宿久庄の酒造米は極上とされていたという。

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最終更新:7/18(月) 12:12

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