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「海の日」由来知ってますか 歴史ひもとく、横浜にも縁

カナロコ by 神奈川新聞 7月18日(月)16時6分配信

 18日は海の日。だが1995年の制定時は、明治天皇の汽船初巡幸にちなんだ20日だった。東北から横浜へ向かうこの汽船の航海は強風に苦しめられ、天皇を迎える準備を進めていた横浜でも、船の到着遅れで混乱が生じた。140年前の7月20日を振り返る。

 明治天皇紀などによると、1876(明治9)年に天皇は東北巡幸の最後に北海道へ渡り、7月18日午前に灯台視察船「明治丸」で函館をたった。20日午前には横浜に到着予定だったが、三陸沖から犬吠埼を過ぎるまで強風に見舞われ、到着は夜遅くなった。

 140年を経て、明治丸は東京海洋大越中島キャンパスに保存されている。ボランティアで案内役を務める吉田卓也東京商船大名誉教授(80)は「梅雨明けで南風が吹いたのが原因ではないか」と推測する。

 その日、横浜では天皇の出迎えのために、町会所をガス灯で飾るなどの準備が進められていた。しかし到着が大幅に遅れ、待ちぼうけに終わった。

 幕末に来日したスイス商社創業者の日記には「領事達は町会所で待機したが、無駄足だった。ミカドは午後10時に着いてすぐ伊勢山に向かったからだ」(ブレンワルドの幕末・明治ニッポン日記、横浜開港資料館編)とある。夜遅かったので、天皇はすぐに宿泊先の伊勢山離宮に向かったようだ。

 「海の日」の由来となった横浜の一日はこのように慌ただしく過ぎていった。

■候補日はほかにも

 そもそも「海の日」は「海の記念日」を継承したもの。記念日は太平洋戦争開戦直前の1941年に制定され、「海こそ日本の生命線」との考えが広まる中、国民の海洋精神高揚の狙いがあったとされる。

 吉田名誉教授によると、記念日の候補日はいくつかあった。

 1875年3月5日。明治天皇は横須賀での軍艦進水式から横浜まで帰る際に初めて明治丸に乗船した。同年11月21~24日。英国との間に小笠原諸島の領有権問題が生じた際、明治丸は日本政府の調査団を乗せて英国船より早く着いたことで、小笠原を日本の領土にできた。

 どちらも記念日の候補であったが「海の日は夏が望ましい。さらに天皇の東北巡幸は国民に船は恐れるものではないと範を示し、海洋精神高揚のための記念日にふさわしいと7月20日が選ばれた」と吉田名誉教授は解説する。

■あっけなく…

 明治丸はその後は高等商船学校(現・東京海洋大)の係留練習船となり、日本海運を担う多くの船長・機関長たちを育てた。明治丸に思い入れのある海事関係者は多く、明治丸に由来する7月20日への愛着も強いという。

 天皇が船酔いに耐え、その後は戦前の精神高揚などさまざまな狙いを込めて定められた日にちは、ハッピーマンデー制度で2003年にあっけなく7月第3月曜日に変更となった。

 「歴史を学んだ者としては、ちょっと残念」と吉田名誉教授は話している。

最終更新:7月18日(月)16時6分

カナロコ by 神奈川新聞