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99歳、編み物おじいちゃん 「最愛の妻の次に好き」 

沖縄タイムス 7月19日(火)16時30分配信

 「いまは、本土にいる孫で大学2年の男の子のために編んでいる。冬には間に合うよ」。地域で「編み物のヤスキヨじいちゃん」と呼ばれ、親しまれているのは沖縄県名護市久志区の宮里安清さん(99)。孫やひ孫、やしゃごらに手編みのセーターをプレゼントしている。編み物を始めて70年余。「もう、自分で何着編んだか分からないな」と笑う。
 1940年、ハノイで飛行場建設に従事する人のウエーターをしていたころ、ベトナム人が編み物をしていたのを見かけた。「教えてくれ、と頼んだら、見て覚えろと言われた。それから半年かけて最初に自分で編んだのは腹巻きだよ」
 その後、仕事でサイゴンやボルネオ、シンガポールを転々と移動。仕事の合間は編み物に没頭した。45年、第3中隊で防衛の任務に就いたが、摩文仁へ移動中に被弾した。
 「大砲の破片が右肘に直撃し、貫通せず止まった。この破片はあの時のもの」と小さな箱に入った鉄の破片を見せ「でもこれは命の恩人のような物。けがで川を泳げなくなり、隊員たちを見送って引き返したら、捕虜になってハワイに連れて行かれた」と話す。
 破片が恩人だと感じたのは47年、久志に戻った時だ。「あの時、川を渡った兵隊は全員戦死した事を知ったよ。皮肉なことだよ」。
 25歳で久志区のヨシさんと結婚し、サトウキビで生計を立て子ども6人、孫18人、ひ孫15人、やしゃご2人の子宝に恵まれた。戦争を生き延びた後、宮里さんの生きがいの一つになったのが編み物だ。
 毛糸は市内の手芸店で色や太さのバランスを考えながら買う。孫に似合う色合いを頭に描き、セーターの裾と身頃を色違いにするなどデザインも自己流。これまでに100着以上を仕上げてきたという。
 最愛のヨシさんは昨年他界した。「眼鏡を掛けずに編める100歳は少ないはずよ。前は4日でセーター1着を仕上げたが、今はゆっくり。でも編み物はヨシの次に好きだな」と目を細めた。(玉城学通信員)

最終更新:7月19日(火)18時13分

沖縄タイムス