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トヨタと職人 G'sヴォクシーという“例外”

ITmedia ビジネスオンライン 7月19日(火)8時8分配信

 「二兎を追う者は一兎をも得ず」あるいは「虻蜂取らず」という言葉がある。

 要するに欲張ると何も達成できないということを示す格言なのだが、設計の世界ではあまり通じない。例えば、クルマの設計者たちは常に二兎や三兎どころではなく100でも200でも追えと言われているのである。一番分かりやすい例で言えば、軽量コンパクトに作りたいスポーツカーなのに「フルセットのゴルフバッグを2人分積めるようにしろ」という類いのヤツだ。

【多彩なアレンジが求められ、ショールームでの商談の決め手の1つとなるシート】

 「そういう馬鹿馬鹿しい多方面要求をするからクルマがダメになるのだ」とメディアは簡単に書くが、そもそも設計とは相反するさまざまな要求をバランス良くまとめて、最良の妥協点を探し出すことだ。そう簡単には割り切れない。ちなみに「バランス良くまとめて」が意味するのは決して「均等に」あるいは「等価に」という意味ではない。優先順位をキチンと付け、製品企画に違わない範囲で折り合いをつけて行くと言う意味で、非常に高度な見識が求められる。先ほどのゴルフバッグで言えば、積載能力とトレードオフで損なわれる別の性能の冷静な比較があった上で、どちらが重要かを論ずるべきであり、簡単に言うほど自明のことではない。

●現代のファミリーカー 5ナンバーミニバン

 そして、恐らく世の中で売られているありとあらゆるクルマの中で、最も厳しい多方面要求を受けているのが5ナンバーミニバンである。しかも売れているから手抜きはできない。下に挙げたのは自販連による、2016年6月の車名別新車販売ランキングのベスト30から拾い出した3列シートミニバンで、末尾に「※」が付いているのが5ナンバー枠いっぱいのモデルである。ピックアップしたのが10台ということは、ベスト30のうち3分の1は3列シートミニバンで、その半分が5ナンバーミニバンということになる。

3位 シエンタ 1万954台

8位 ヴォクシー 7278台※

10位 セレナ 6600台※

12位 ステップワゴン 4558台※

16位 ノア 3906台※

17位 エスクァイア 3901台※

19位 ヴェルファイア 3695台

20位 オデッセイ 3474台

23位 アルファード 3146台

27位 フリード 2424台

 この車名別ランキングを見る上での1つの指標は5000台と2000台だ。月によって変動はあるが、概ね5000台売っていれば、ベスト10に入り、2000台売っていればベスト30入りが期待できる。言うまでもないが、ベスト10に入れば成功モデル確定だし、2000台売っていれば少なくとも失敗ではない。まあ先代モデルとの比較もあるので、一概には言えないところもあるのだが。

 ちなみにヴォクシー/ノア/エスクァイアは兄弟車なので台数を合計してみると1万5085台になってランキング2位のアクアを抜く。上にはプリウスがあるのみだ。それだけ売れている大黒柱かつ、日本のファミリーカーの本命なのだ。

●ミニバンを取り巻く無理難題

 さて、その大黒柱がどんな無理を背負っているのかを検証してみよう。

 まずはボディ剛性だ。左右に2枚ずつのドア、後ろにテールゲートがあり、その開口部がいかに広いかが商品力競争の重要なポイントだ。人の乗り降りにしても、荷物の積み降ろしにしても影響は大きい。

 ボディのほとんどが開口部ということは構造強度が出ない。ましてや乗降性の確保のために床板は低く、薄く、段差なしでと制限されるから、頼みの綱であるサイドシル(敷居)すら剛性負担にろくに利用できない。構造体として見れば、ゲーム終了間近のジェンガのような有様で、これでボディ剛性を出せと言われて机を叩かないエンジニアはよほど人間ができているか、マゾだと思う。

 シートは当然3列7人もしくは8人分が必要で、多彩なシートアレンジが求められる。やれ収納したらフラットな床になるようにだの、倒したらベッド代わりに使えるようにだのと言われるから、構造が複雑化して重量とコストが増加する。

 車高が高いので重心は否応なく上がる。クルマには固有のロール中心軸というものがあって、これと重心位置がどのくらい離れているかは、クルマを倒すテコの長さに該当する。だから重心が上がるのはマズい。しかも側面積が大きいので横風の影響も大きい。宿命的に遠心力や横風でクルマを横倒しにしようとする力がかかりやすい。だからサスペンションを硬くして、そういう力に対して持ちこたえたいのだが、「ファミリーで使うクルマなので低速での乗り心地は快適に」と要求される。

 空気抵抗は前面投影面積と空力係数の積で決まる。ミニバンは前面投影面積が巨大だし、積載能力を考えればテールゲートはできるだけ垂直にしたい。となれば、そこは形状的に乱流を起こしやすいため空力係数でも不利だ。加えて前述のようにクルマは重い。だが、低燃費にしろと言われる。ぐっと堪えて飲み込むと、7人と荷物を積んだときに遅いと言われない動力性能も確保しろと言う。

 挙げ句の果てに、乗り出し300万円は譲れないから車両価格は200万円台中盤に納めよと来る。これが全部叶えられるなら、ラクダは針の穴を対面通行できるだろう。

 書いていてもツラいが、追い打ちで「ハイブリッドモデルも必要だよね」。この限界的なパッケージのどこにバッテリーを積めと言うのだろう。筆者なら3列目のシートを放り出すだろう。

 5ナンバーミニバンはそういう無限とも思える無理難題を、忍の一字で形にしたものすごい製品だ。産業側から見ればそういう結論にならざるを得ないのだが、クルマとしてどうかと言われれると今度は筆者が苦しい。ユーザーに設計者の苦労をおもんばかって評価しろとは言えない。

●ハイブリッドとG's

 今回乗ったのはノアのハイブリッドモデルだ。相当に頑張って成立させているが、盛り込み過ぎた無理は結果に表れている。最も具体的なのは路面不整を乗り越えたときの床板の振動だ。

 乗り心地改善のためのゴムブッシュ容量を大きく取った結果、路面不整に蹴り上げられたとき、ゴムの可動域の分だけ車輪が震える。この振動が床板に伝わってわなわなと震える。運転中のかかとに伝わってくるくらいなので、2列目シート付近はもっとひどいことになる。単純に言えば、床板の長さの中央が最も振幅が大きくなる。ただし、振動を感じる割に音は出ていない。その辺の消音材の使い方はやはりトヨタらしいと言える。いわゆるセダンやワゴンと比べなければ静かと言っていいと思う。

 ハンドリングもブレーキも「これだ!」と膝を打つようなことは残念ながらないが、欠点と言えるほどの欠点は床板の振動以外に感じられなかった。ファン to ドライブを求めてミニバンを買う人はいないだろうから、家族のための実用車として見れば、よく問題点をつぶしてあると感じた。

 ところがである。この後に乗ったノアのG'sはそこの様子がだいぶ違っていたのだ。まずはG'sという製品から説明しなくてはならない。

 トヨタはG'sを「スポーツコンバージョン車」と呼んでおり、どんなクルマであってもスポーツカーに仕立てると言うのである。まあさすがに箱バンをベースにしながらスポーツカーは大げさだが、従来から評判の良いシリーズだ。

 スポーツ系のクルマが好きな人であっても、ライフステージのある瞬間を切り取ったとき、どうしてもミニバンやエコカーを選ばざるを得ないときがある。その間運転する楽しみを諦めて、家族の運転手になるのは気の毒だとトヨタは言う。だからミニバンでもエコカーでもスポーツが思い出せるクルマに仕立てましょうと言う提案がG'sのシリーズだ。下はヴィッツからアクア、プリウスα、ノア/ボクシー、マークX、ハリアーにそれぞれ設定がある。先代のプリウスにも設定があったが、新型ベースのG'sは未登場である。

 ひと目でそれと分かる“ちょい悪”系の内外装を持っているので好き嫌いは分かれると思う。筆者は正直そのデコレーションはかなり苦手である。ところが、そういう外見の話を置いて、クルマの機能部分を見ると大幅に改善されており、乗るとフィールは別物だ。ガチガチに固めた乗り心地を想像すると全く違う。むしろ質の高い乗り心地と自然な運転感覚がある。G'sのベースはハイブリッドではないので物理的に重量も違うのだが、運転感覚ははるかに軽く、思った通りに動くのでクルマがコンパクトになったように感じる。これならミニバンも悪くないと思わせるものに化けていた。

 G'sは何故良いのか? それは長らく疑問だった。しかし今回の取材でその仕掛け人とも言える人に会うことができた。まず肩書きにインパクトがある。「凄腕技能養成部 Nチームグループ チーフエキスパート」これが江藤正人氏の名刺に書かれた肩書きだ。

 試乗会ではまずお目に掛からないほどのベテランで、職種としてはテストドライバーになるのだが、分かりやすい言葉で書いてしまえば昔気質の職人。話はすこぶる面白い。本人の内側に揺らがない価値観があり、それに達しないクルマの話になると、言わないまでも明らかに嫌な表情になる。時々「あんなもんはダメだ」とポロッと口に出るので、隣で若いエンジニアがひやひやしているが、「だってそうだろう」と言われると「おっしゃる通りです」と苦笑いになる。

 「ダメなクルマがどうダメなのかは乗ればすぐ分かる。クルマってのは感覚で作るもんです」。なるほどG'sはこういう人が作っていたのか。

 江藤氏に聞いたのは、クルマを良くする手順である。最初に手掛けるのはボディとタイヤ/ホイールだそうだ。ボディは得心がいくが、タイヤじゃなくてタイヤ/ホイールとはどういうことだろう?

 「タイヤとホイールを一体にしたときの弾性バランスってのがあるんです。G'sノアに使ったタイヤはブリヂストンのポテンザRE050。タイヤ自体の縦ばねと横ばねのバランスが良いのが採用の理由です。だけどかなり多くのホイールが硬すぎる。ホイールの弾性が足りないと良いアシになりません」。ホイールの面剛性ならともかく、筆者は残念ながらまだホイールの弾性の差を感じたことがないので、相槌(あいづち)も打てない。ただRE050の評価はおっしゃる通りだと思う。

 1つ心配なのは、それだけ緻密なレベルのセッティングがクルマの妙を生んでいるとするならば、このクルマを買ったオーナーはほかの銘柄のタイヤに履き替えられないということだ。特にRE050はブリヂストンがミシュランPS2を研究して作ったラインアップ上の異端児であり、商品展開上の後継タイヤは存在しても、設計思想的な後継タイヤというものは存在しない。アフターマケット品としては既にカタログ落ちしており、メーカー純正タイヤとしてのみ生産が続行されている行き先未明な状況なのだ。G'sを買ったオーナーがタイヤ交換が必要になったとき、RE050が存在しているかどうかは心配である。

 肝心のノアのどこをどのように変えたのだろうか? 資料にはボディに組み込んだ補強が示されている。つまりボディ剛性の向上が最大の秘密なのだろうか? そう尋ねると「剛性そのものは絶対的に高い必要はないんです。ただしバランスは大事。ノアの場合、燃タンで剛性が出ちゃうので車両の右と左で剛性バランスが違うのが問題です」。

 写真を見ると分かるが、車両左側の床下の黒い塊が燃料タンクである。薄型化低床化されたフロアによって行き場を失った燃料タンクは、四輪駆動モデルのプロペラシャフトを避けるため、片側に寄せられたのである。知恵の輪のような設計だ。タンクは当然立体だ。鋼板でできたタンクをこの位置に持ってきたことで、燃料タンクが構造部材として機能してしまったのである。元々剛性が不足気味のフロアなので、てきめんに効いてしまった。G'sではこのアンバランスを補うために、右側に前後をつなぐ斜交いを入れたのである。合わせてフロアの前後に左右に補強材を渡し、併せてサスペンション取り付け部を強化した。

 そのほか、肝心な部分にはしっかり手が入っている。ばねとショックアブソーバーは専用だし、パワステも専用チューニングが施されている。ブレーキはキャリパー/パッドとも専用品だ。ノアSiの274万円に対して312万円。差額は38万円。それだけの価値はあると思う。

 G'sがどんな場所で開発されているのか尋ねてみたところ、テストは東富士テストコースの構内路を使って行われている。サーキットのようなテストコースをギャーギャーとタイヤを鳴かせてしごき上げて作るわけではないのだ。

 トヨタは今、もっといいクルマ作りをコンセプトとして、合理的な設計へと舵を切っている。それ自体はとても良いことだと思う。ただその合理的な未来絵図の中で、江藤氏のような資産をどう活用していくのか、それもまた重要なことだと思うのである。

(池田直渡)

最終更新:7月19日(火)8時8分

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