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中川政七商店が考える、日本の工芸が100年先も生き残る道とは?

ITmedia ビジネスオンライン 7月20日(水)8時8分配信

 駅前の商業施設などで幅広い年齢層の女性客がひときわ集まる雑貨屋がある。陳列されている商品は手ぬぐいや食器類など日本の工芸品。来店した人たちは思い思いに商品を手に取っては購入していく。店の名は「中川政七商店」。オリジナル商品を中心に、全国の暮らしの道具を取りそろえるセレクトショップである。

【店内には全国各地の工芸品が揃う】

 同名の運営会社は、奈良県奈良市に本社を構える。創業は1716年。今年でちょうど300周年という老舗企業だ。奈良晒(ざらし)という麻の晒し布で商いを始めたのが、元々の始まりである。

 1983年に株式会社化し、現在は自社商品の製造・販売だけでなく、他社商品の卸や小売までも手掛ける。店舗ブランドは先述した中川政七商店のほか、布製品を販売する「遊 中川」、その地域に特化した土産物を扱う「日本市」を展開する。

 中川政七商店の事業のもう1つの柱が、工芸メーカーへのコンサルティングサービスだ。同社は「日本の工芸を元気にする!」を経営ビジョンに、工芸品にかかわるメーカーや産地が、自治体などの補助金に頼らず黒字経営するような経済的自立を後押しする。

 実は、かつては中川政七商店も、今支援しているような中小の工芸メーカーと似たような経営状況にあった。それを新たな事業成長の軌道に乗せたのが、現社長の中川淳氏である。2016年2月期の売上高は46億8000万円で、2008年に中川氏が十三代目社長に就任してから売上高は10倍以上に増えたという。

 そこにはどのような改革があったのか。同社のこれまでの取り組みなどについて、一橋大学大学院 国際企業戦略研究科(一橋ICS)の大薗恵美教授が、中川氏に聞いた(以下、敬称略)。

●大企業から小さな会社へ

大薗: 中川政七商店のビジネスがユニークだと感じるのは、1つは日本の工芸品をベースにした製造小売業(SPA)を行い、もう1つは工芸メーカーへのコンサルティングなどを通じて、彼らの商品開発力をより高めて流通に乗せる支援をしている点です。

 中川さんは元々、富士通に就職したわけですが、ご実家である中川政七商店に戻るときにこうした事業構想は既にあったのでしょうか?

中川: 正直言いますと、ノープランどころか、家業が何をしているかもよく分かっていませんでした。ですので、そもそも家業を継ぐつもりはなく、父親からも継げと言われたことは一度もありません。

 大学卒業後、メーカーで2年間働いているうちに、仕事をやっただけポジションを与えてくれるような会社に行きたいと思うようになりました。今いる大企業ではそれが難しいことは分かっていたので、小さい会社で、かつIT業界以外に行こうということで、いろいろと探しました。

 そうしたときに、実家の会社を思い出したわけです。小さくてIT企業でもない、しかもちょうどそのころに東京で初めて「遊 中川」を出店したところだったので、何となく伸びているのだなと感じて転職を決意しました。

 ところが、父親に相談すると一言、「アカン」と反対されてしまいました。その後もさんざん言われましたが、頭下げて何とか入社させてもらいました。2002年のことです。

大薗: メーカーで働いた2年間の経験は役に立ちましたか?

中川: ITシステムの会社だったので、1年目から子会社や孫会社を相手にプロジェクトマネジャーを務めるという役割を与えられました。その経験を通じて、単にビジネススキルの習得だけでなく、仕事をどう回すべきなのかということが大いに勉強できたと思います。

●小売事業で目指したもの

大薗: 現在掲げている「日本の工芸を元気にする」という経営ビジョンはどのようなきっかけで生まれたのでしょうか?

中川: そもそも中川政七商店にビジョンや社是はありませんでした。私が入社したとき雑貨部門は赤字でしたし、まずは何とか立て直すことが最優先課題でした。

 それがある程度改善されてくると、今度は何のために働くのかと悶々と考える時期が来ました。なぜこのような考えに行き着いたのか今改めて考えると、「will」「can」「must」の重なり合いでした。

 willは、一消費者として日本の工芸や伝統的な技術などがなくなるのは悲しいということです。canは、麻以外の工芸であっても何とか状況を良くすることができるなと思いました。mustは、毎年のように廃業の挨拶に来る工房の人たちを見ていて、最初は残念だなと思っていただけだったのですが、もしこれがこのまま続いたら、うちもモノ作りができなくなるのではという危機感です。

 統計的に見ても、日本の工芸品業界は1990年に生産額5000億円、企業数2万6000社あったのが、2005年には1900億円、1万3000社にまで減少しています。これ以上の目減りを避けるためにも、何とか当社が生き残っていくことがマスト条件だろうと思ったのです。

大薗: 中川政七商店は最初からSPA的な事業を行っていたのでしょうか?

中川: いや、小売をやろうと思ったのは僕の判断ですね。入社する前にも奈良に2店舗と東京に1店舗ありましたが、これはショールーム兼営業拠点でした。父親もメインの商売はあくまでも卸だと考えていました。

 ただし、店舗のブランドを認知しているのはごく一部で、多くの消費者は「日本的なもの」を扱う雑貨屋という程度でした。これでは駄目だということで、自分たちで小売を始めて強いブランドを作っていかなければならないという考えに至ったのです。短期的に儲かる、儲からないではなく、これをしないと生き残っていけないと思いました。

大薗: ブランドをきちんと立てるためには自ら小売をするしかないと決めたわけですが、具体的にそうすることで何をコントロールしたかったのですか?

中川: 商品だけで伝えられることは限定的です。販売スタッフ自らが顧客に対して商品の製造背景や企画意図までも伝えるべきと思いました。そのためには自社の人間が直接介在することが大切で、よそさまに販売を任せていたらコントロールは効かないと考えたわけです。

●当たり前の「経営」ができていない

大薗: コンサルティングサービスについても教えてください。今、多くの工芸メーカーが抱えている典型的な問題とは何ですか?

中川: 長らく地方の工芸メーカーに対する行政の支援を見てきました。支援内容でありがちなのは、有名なデザイナーが派遣されて、そこでモノを作るという取り組みですが、これによって会社が立ち直ったという例はほとんどありません。

 なぜかと言うと、問題の本質はそこにはないからです。問題の本質は、工芸メーカーに「経営」がないことです。流れに身を任せて、その日暮らしでやっているのが実態です。

 そうなってしまった理由は構造的な問題です。元々、産地問屋というのがあって、問屋の下にいくつもの工房がぶら下がっている状態でした。それぞれの工房が独立した会社の形は取っているけど、一製造部門にすぎないのです。問屋からオーダーが届いて、スケジュール通りに製品を納めることだけが彼らの仕事でした。けれども、あるときから問屋が機能しなくなって、突然自分たちで経営をしなくてはならない事態に陥ったのです。

 そうした彼らに対して、僕らがやってきたコンサルティングサービスというのは、いわば経営の家庭教師みたいなものです。モノが売れる、売れないというのは顧客ありきなので難しい面も多いけれども、経営を良くすれば必ず効果は出ます。まずはそこをきちんとやろうということです。予算表を作るなど当たり前の経営をして、その上で新しいブランドや商品を作ったり、流通をきちんとフォローしたりすればいいのです。

 僕らもメーカーなので、メーカーがやらなくてはならないことは全部やってきたし、メーカーは何が嬉しくて、何が嫌かよく知っているからお手伝いできるのです。実際、当社も以前は当たり前の経営ができていませんでした。例えば、Aという商品が売れているのに、なぜかどんどん製造されるのはBという商品だけ。理由を聞くと「作りやすいから」という答えが返ってくるようなレベルだったのです。

大薗: 工芸メーカーへのコンサルティングはうまくいっていますか?

中川: 今のところは全てうまくいっています。

大薗: それはなぜですか? うまくいきそうな会社を選んでいるのですか?

中川: いや、選んではいません。なぜ選ばないのかというと、中川政七商店自身も製造技術などで何の特徴もない中でやってきているから、他社も特殊な技術がなくても絶対にうまくやれると思っています。

 ただ、選ぶことはないですが、いくつか手を引かせてもらった案件はあります。先ほどもお話したように、経営の家庭教師だと思っているので、僕らの言ったことを必ずやってもらわないといけません。そこに関しては相手に選択権はありません。けれども、実際にはやってくれない会社もあったので、降ろさせてもらうことにしました。

大薗: 早い会社だと成果が出るのはどれくらいでしょう?

中川: コンサルティング支援に入って、多くの場合、まずは売り上げを伸ばすためにブランド作るわけですが、1年以内には商品リリースまで持っていけます。そこからすぐに売り上げが出るパターンもあれば、じわじわ伸びていくパターンもありますが、3期後くらいにはほとんどの会社が成果を出しています。

●インバウンド対応に力を入れない

大薗: オンライン販売についてはどうお考えですか? 工芸品というのは手触りや微妙な色合いなどが大事だと思いますが、会社のブランドが立ってくるとオンラインでも売れるものなのでしょうか?

中川: 僕は、オンライン販売はずっと否定派で、「商品を触らずによく買うな」と思っていました。ただ実際には伸びていて客単価も高く、現在は売り上げ全体の6~7%に当たります。ひとまず10%を目指しています。ただし、店舗があってこそ成立しているものだと思っています。

大薗: インバウンド対応についてはいかがでしょうか?

中川: 立地によっては一定の影響が出ています。ただし、基本的にインバウンド対応はするなという指示をしています。

大薗: それはなぜですか?

中川: インバウンドは瞬間的な“甘い汁”で、いつこの勢いがなくなるか分からないからです。ですから、東京五輪に向けて何かを仕込んでいるわけではないし、それほど関心はありません。

大薗: 中川政七商店の店舗に行けば日本の工芸品が買えると知れば、訪日外国人が大勢押し寄せそうな気はしますが。

中川: もちろん外国人の方々を拒否しているわけではないし、結果的に店舗にいらして買ってもらえるのは嬉しいです。けれども、インバウンドありきということはないです。メーカーの立場として思うのは、一過性のブームでどかんと売れてしまうのが一番困ります。

大薗: ブームはどの会社も苦労すると聞きます。けれども、意図せず勝手にブームになることも多いですからね。例えば、中川政七商店のコンサルティングによって成功したマルヒロが販売する波佐見焼の陶磁器ブランドも一気に売れたのでは?

中川: はい、確かに急に売れましたけど、それから5年以上も売り上げを落とさずに続いているので、もはやブームとは思っていません。

大薗: 仮にブームが来た場合、増産対応するよりは、ある程度は品切れ状態でも仕方ないという考えでしょうか?

中川: ある程度の増産はしますが、ムチャな投資はしません。ただ、長い目で見て、増産に向けた投資をしていかないと、多くの工芸メーカーは事業承継できるレベルまで達しません。今ちょっと食べられるようになったというのでは駄目なのです。

 高齢化が進み、工芸メーカーでの後継者問題が叫ばれていますが、実は成り手がいないのではなく、そもそも自分たちが食べるのがやっとなので、雇いたくても雇えない状態なのです。別に高い給料でなくても。工芸をやりたいという若者は結構いるのです。継続的に収益を上げられる経営をすれば、この問題は解決するはずです。

●産地の「一番星」を作り、観光客を呼び込む

大薗: 今後の展望について教えてください。

中川: 日本の工芸を元気にするために、今取り組んでいるのは、産地ごとにマルヒロのような「一番星」を作ることです。これができると2番手、3番手が出てきて、結果的に産地全体の底上げになります。

 産地を盛り上げるためには、「旅」も重要です。産業観光と言うと富岡製糸工場みたいな文化遺産への観光をイメージしがちですが、例えば、新潟県の燕・三条で開かれている「工場の祭典」には数万人が押し寄せているのです。モノ作り現場を見た観光客は皆、商品を買っています。これが工芸の生き残る最後の道だと思っています。

 そのためには観光客に来てもらわないといけません。たとえ素敵な木造の工房を作ったところで、そのためだけに来るのはただのマニアです。地元のおいしい野菜を使ったレストランや良い宿がそこにあってこそ、初めて訪れようと思うのです。ですから工芸メーカーにはそこまでの環境を整備する責任があります。

 こうした産地がたくさんできれば日本はどうなるでしょう。今、日本には300くらい産地が残っていると思いますが、世界的に工芸は廃れていっています。もし100年後もこのまま300ほどの産地が生きながらえることができれば、真の「工芸大国日本」となります。

 そのときに本当の意味で初めて、海外の方は日本に来て、いろいろな産地を旅し、それぞれの土地でまったく違うモノ作りを体験できるのです。今無理して外国人ウケの良いモノを作らなくても、それぞれの産地が地道に頑張っていれば、それが観光立国につながるかもしれません。

 本来、僕らがそこまでやるべきではないのかもしれませんが、工芸を何とかしようと思うと、結果的にそうした活動に結び付くのです。波佐見ならマルヒロ、奈良であれば中川政七商店が産地の一番星になって、具体的な成功事例を作ればいい。そうした動きをどんどん始めていくことが大切です。

(伏見学)

最終更新:7月20日(水)8時8分

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