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《白球の詩》“恩返し”果たせず涙 関学附・中島康介選手

上毛新聞 7月20日(水)6時0分配信

◎裏方に徹した最後の夏

 6点を追う九回裏、関学附の攻撃。先頭打者のホームランでチームは勢いづいた。スタンドでは「逆転」を願う応援団の黄色のメガホンが揺れた。1死一塁。次打者席には羽鳥達郎監督が「代打の切り札」と信頼を寄せる、中島康介。「次は俺の番だ。おやじ見ていてくれ」。遺骨の入った右後ろポケットを握り締め、静かに試合の行方を見守った。

 小学生の時にソフトボールを始め、中学から硬式野球に転向。埼玉県秩父市にある地元チームに入り、3年の時には主将として率いた。高校進学を前に埼玉県内の強豪からも声は掛かったが、参加した関学附の練習会で見たユニホームに憧れ、親元を離れ野球に打ち込んだ。

 「自分で決めたことだから、最後まで頑張りなさい。でも何か困ったことがあれば、いつでも相談しなさい」と父は送り出してくれた。

 練習漬けの日々を送り、新チームに代替わりした昨秋のことだった。父の雅三さんが悪性の脳腫瘍で倒れて入院した。心配だったが、野球に打ち込む自分の姿が父の願いと思いプレーを続けた。病院から車いすで試合観戦に出向いては夢中になって父はシャッターを切っていた。それが励みになった。

 父の病状はさらに悪化していった。秋の県大会にも応援に来てくれたが、それも覚えていられないほどになっていた。昨年10月、54歳の若さでこの世を去った。

 最後の夏。父のためにと、強い気持ちがあった。「俺が野球をしているのを見るのが好きだったから」。元気いっぱいにプレーする姿を天国で喜んでもらおうと思った。

 母の繁子さん(49)が遺影を持って応援に駆け付けた16強を懸けた試合。電光掲示板に中島の名前はなかった。背番号「5」ながら大会直前に調子を上げた2年生に先発を譲った。ベンチスタートでも腐らず、「今の自分にできるのは選手をリラックスさせること」と裏方に徹した。「全員野球」。これが関学附の伝統だと―。

 試合中は表情の硬い仲間に声を掛け、みんなのために率先してバットやグラブを片付けた。「出番は必ず来る」。五回後のグラウンド整備中にはベンチ前でバットを振った。終盤に入るとベンチを離れ、屋内練習場で素振りを繰り返した。

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最終更新:7月20日(水)6時0分

上毛新聞

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