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鳥越俊太郎さんが「出馬はペンより強し」になった理由

ITmedia ビジネスオンライン 7月21日(木)8時14分配信

 東京都知事選に出馬したジャーナリスト鳥越俊太郎さんが、『週刊文春』に「女子大生淫行」疑惑をかけられている。

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 真相は定かではないが、このあたりの「身体検査」がないがしろだったのは、鳥越さんの抜群の知名度もさることながら、最近の選挙における「ジャーナリスト候補」の善戦ぶりがある。

 例えば、先日の鹿児島県知事選挙で自公推薦候補をはねのけた三反園訓さんはテレビ朝日の政治記者。先の参院選でも、厳しいといわれた神奈川選挙区で当選を果たした民進党の真山勇一さんも長く日本テレビでキャスターとして活躍された。

 そんな追い風にダメ押しをしたのが、TBSの解説委員だった杉尾秀哉さんの勝利だ。まったく縁もゆかりもない長野県で落下傘候補として戦った杉尾さんの応援ポスターには、鳥越さんが登場した。通常、この手のポスターには党首や知名度の高い幹部が出るのが一般的だが、鳥越さんとのツーショットによって「ジャーナリスト色」を全面に押し出したことが功を奏したのである。

 民進党きっての人気者と言われた蓮舫さんですらガッツリ票を減らした参院選で、ジャーナリスト候補がここまでの成果を出せば、野党4党が「鳥越さんなら勝てるのでは」と淡い期待を抱くのも当然だろう。

 さらに言えば、野党連合の中心である民進党がここぞという大一番で、「ジャーナリスト候補」に頼るクセがあることも大きい。政権交代を果たした2009年の衆院選では、親しいマスコミに片っ端から声をかけて20人以上を候補に立てたほどだ。

●民進党は「ジャーナリスト候補」に依存

 では、なぜ民進党は「ジャーナリスト候補」に依存してしまうのか。

 「そんなもん反日マスゴミと癒着してるからだ、以上!」なんて怒りの声が聞こえてきそうだが、そういう陰謀論的な理由ではなく、実は「浮動票の取り込み」という戦略面の意味が強い。

 自民党候補者は地域の組織票をガッチリと抑えている中で、労組以外にパッとしない民進党としては、「浮動票」を獲得していくしかない。それは分かりやすく言えば、普段は政治にほとんど関心のない人たちに「難しい話はよく分からないけど、この人ならなんかやってくれそう」と思わせるような「好感度の高い候補者」を立てるということだ。

 そういうとき、経営者とか医者とか教師よりも実は最も適しているのが、「テレビ・新聞出身のジャーナリスト」なのだ。なぜか。日本人が「テレビや新聞を世界一信用している国民」だからだ。

 各メディアの情報をどのくらい信頼しているかと聞いたところ、平均点が最も高かったのは「NHK」で71.1点(2014年メディアに関する全国世論調査)。次いで「新聞」が69.2点、「民放テレビ」も60.2点となっている。

 ま、全体的にはそんなもんじゃないのと思う人もいるかもしれないが、実はこの信頼度は世界的にみるとかなり「異常」と言わざるをえない。

 例えば、米国の調査機関ギャラップ社が実施した2014年の調査によると、新聞を信頼している米国人は22%しかいない。テレビニュースにいたっては19%とネットニュース(18%)と同程度の信頼感しかないのだ。この傾向は他の先進国も同様だ。2010年期の世界価値観調査で英国、フランス、ドイツの新聞・テレビの信頼度は、10~40%にとどまっている。これは国民がメディア不信に陥っているというよりも、「報道を鵜呑みにせず自分で判断せよ」というメディアリテラシー教育が日本より浸透していることも大きい。

 そういう国と異なり、「テレビや新聞はとにかく信用できる」という国民が多い日本で、組織票の弱い政党が選挙で勝ち抜こうと考えたらどうすればいいか。「テレビ・新聞出身ジャーナリスト」の神通力に頼ろう、という発想になるのは当然だろう。それを雄弁に物語っているのが、民進党の「NHK記者」の多さである。

 国体委員長を務められる安住淳さんはNHKの政治部記者。現在、鳥越さんとともに街頭演説に随行する柿沢未途さんもNHK記者だったし、みんなの党、維新の党を渡り歩いた井出庸生さんもそうだ。もうお辞めになったが、厚労相も務めた小宮山洋子さんはNHKの解説委員。旧社会党組で経済産業副大臣、財務副大臣などを歴任した池田元久さんもNHK記者だった。自民党にも竹下亘さんなどNHK出身者はいるが、比べものにならないほど多いのだ。

●ちょっと口説かれて権力側に転身する不思議

 野党4党が鳥越さんを担いだ理由がなんとなくご理解いただけたと思うが、ここで新たな疑問が浮かぶのではないだろうか。

 政党からすれば、選挙に勝つために、「ジャーナリスト」を擁立(ようりつ)したいというのはまあ分からんでない。しかし、言論で権力の不正を追及している側の人々が、ちょっと口説かれた程度で思いつきのように権力側に転身してしまうということにえもいわれぬ違和感を覚える方も多いはずだ。

 事実、英国の公共放送局『BBC』や『ニューヨーク・タイムズ』のジャーナリストたちが「トランプ氏の暴走を止めるために立ち上がりました」「英国のEU離脱を阻止するため行動に出ます」なんて言って一斉に政界に転身した、なんて話をあまり耳にしない。

 もちろん、世界を見渡せば、ジャーナリスト出身の政治家はいることはいる。例えば、パット・ブキャナン氏など有名だ。この人はテレビキャスターや、さまざまなメディアに関わった後、ニクソン、レーガンなど歴代大統領のシニアアドバイザーを務め、後に自身もアメリカ大統領選に出馬をした。

 ただ、このブキャナン氏をみても分かるように、欧米では、政治家をやってシンクタンクやメディアなどの民間企業へ転職して、また何年かしたら政界に戻るなんていう、いわゆる「回転ドア」と呼ばれるワーキングスタイルがわりと多く、「ジャーナリスト出身政治家」も政界とメディアを往来しつつキャリアを積むのが一般的だ。

●出馬はペンより強し

 日本のように、「安倍政権は史上最悪だ」なんて言論活動をしていたジャーナリストがある日を境に急に、「政策は知らないけど、当選したあかつきにはイチから勉強するから大丈夫だって」なんて出馬をするノリとはだいぶ事情が異なっているのだ。

 なぜ日本のジャーナリストは、まるで将棋の「歩」が「と金」に変わるようにパタッと「政治家」に生まれ変わることができるのか。なぜ「ペンは剣より強し」という理念がどっかにすっ飛んで、「出馬はペンより強し」と言わんばかりに街頭演説で喉をからすことができるのか。

 その謎を解くカギを、ある大物ジャーナリストがおっしゃっていたので引用させていただこう。東洋経済オンライン(2014年7月29日)で、読売新聞東京本社社長を務められた滝鼻卓雄氏がこのように述べていた。

 『滝鼻:私はジャーナリズムの目的は何かというと、正義の実現にあると思っています。ジャーナリストには、「何が正義か」についての柱となる考えがないといけません。正義という基準を持っていないと、ニュースの価値を決めるときにも困ります。法律は必ずしも、正義の実現にはつながりません。正義の実現と乖離した法律もいくつもあります』

 読売新聞は世界一の発行部数を誇り、日本を代表するジャーナリスト組織だ。そこで自身も記者として活躍され、編集主幹などを歴任された方が、「ジャーナリスト=正義の実現者」だとおっしゃっているのだ。別におかしなことは何も言ってないじゃないか、と思うかもしれないが、実はこれは世界のジャーナリズムと比べると、かなり斬新な考え方なのだ。

 本来、ジャーナリズムとは、「正義」を声高に主張する権力者たちをつぶさに観察し、その主張がまやかしでないのかを検証するという大きな役割がある。しかし、日本のジャーナリズムは滝鼻さんがおっしゃるように、まず自分たちで「何が正義か」を決めてしまう。これは世界的にみてもかなりユニークな思想だ。

●ジャーナリズムの重要な役割

 世界のメディア、ジャーナリズムレベルを比較分析したWorlds of Journalism Study(WJS)というプロジェクトがある。日本からは日本大学が参加して、747人のジャーナリストを対象に調査を行ったのだが、そこで日本のジャーナリスト特有のカラーがくっきりと浮かび上がっている。

 さまざまな国で、ジャーナリズムの重要な役割概念は何かということでさまざまな質問をした中で、「観察者に徹する」ということを重要視する国が多いという結果が出た(以下、『2013年版「日本のジャーナリスト調査」を読む』から引用)。

 オーストラリアの96%を筆頭に、ドイツ(89%)、米国(82.8%)、スペイン(82%)と西側諸国ではほとんどのジャーナリストが「観察者たれ」と心掛けていることが分かる。ブラジル(85.9%)、中国(79.2%)、ロシア(70.1%)、インドネシア(62.9%)でもジャーナリストたちの「常識」となっているような数値だ。

 だが、調査の参加した国の中で際立って「ジャーナリストは観察者たれ」という概念に否定的な国があった。

 もうお分かりだろう、日本だ。「観察者に徹すべき」というのは43.9%。過半数のジャーナリストは自分たちのことを「観察者以上の存在」だと思い込んでいるのだ。

 では、いったい彼らは自分たちを何者だと考えているのか。その答えは、同じ調査の中で「観察者に徹する」と全く逆の結果となった質問項目にある。

 ドイツ(21%)、オーストラリア(19%)、スペイン(18%)と総じて少数派で、米国にいたっては11%と西側諸国が低く、ロシア(35.1%)、ブラジル(24.2%)、インドネシア(41.4%)、エジプト(43.4%)、中国(45.1%)という「報道の自由」に制約のある国になればなるほど高くなっており、日本が60.3%とダントツに高い。

 それは、「政治的議題を設定する」ということだ。

 西側諸国では、政治的イシューは政治家が決めるという考えがあるが、日本では「戦争法案」とか「保育園落ちた、日本死ね」のようにマスコミが取り上げたことが政治的課題になり、それが国会の論戦にも影響を及ぼす。首相がナベツネさんのようなマスコミトップと会食を繰り返して、意見交換をするという世界でも極めて珍しい「権力とメディアのテーマ調整」が行われるのはそのためだ。

●政治プレイヤー型ジャーナリスト

 実はこの傾向は、戦前から脈々と受け継がれてきた「伝統」でもある。

 日露戦争開戦に迷う元老の山縣有朋を、外務省の依頼で口説き落としたのは朝日新聞の「近代的エディターとしての主筆」の先駆けといわれる池辺三山。日本ではジャーナリズム黎明期から、記者は「観察者の枠を超え、政治家に働きかけて政治的課題を決定する人種」だと決められていた。

 もちろん、それに満足できず記者から政治家になる人間が山ほどいた。犬養毅や原敬ももともと新聞記者だった。ただ、彼らがいた新聞は、大隈重信が買収した『郵便報知新聞』だったりという政府の機関紙だった。現代の我々の感覚でいえば、「ジャーナリスト」というよりも、『聖教新聞』や『赤旗』という「機関紙の記者」だったという考えた方がいい。

  つまり、日本のジャーナリストというのは、近代に産声をあげたときから「政治プレイヤー」の一員だったのである。政治課題の設定が主な役割なので当然、主張は大衆ではなく政党に偏る。よく「偏向報道」という話になると、GHQが洗脳してうんたらかんたらというところにいきがちだが、実はマッカーサー様が乗り込んでくる前からとっくのとうに「偏向」をしていたわけだ。

 そういう戦前のジャーナリストたちから薫陶(くんとう)を受け、「いいか、お前ら、観察者じゃなくてプレイヤーになれよ」と叩き込まれたのが戦後、新聞記者になられた鳥越さんたちの世代である。

 鳥越さんは2006年、市民記者というシステムを導入したネット新聞『オーマイニュース』の編集長に就任されているが、その直前のインタビューでこのように述べられている。

 『昔、先輩記者に「新聞記者とはなにか。最終的には、社会正義の実現にかかわることだ」と言われた。この言葉は印象的に今も残っている』(2006年5月27日 朝日新聞)

●ジャーナリスト候補者が訴える「正義」

 そんな「正義の人」が「女子大生淫行」などするわけがない、と信じたいが、この醜聞よりも驚いたのは鳥越さん側の対応だ。

 報道によれば、弁護団は、公職法違反罪(選挙妨害)や名誉毀損で『文春』を刑事告訴するという。『サンデー毎日』の編集長までやられたジャーナリストが、古巣ともいうべき週刊誌を相手に「言論」ではなく、「法」という力をもってして屈服させる道を選んだのだ。

 もともとジャーナリストでありながら、保険会社のCMに出演するなど「型破り」だったが、告訴が事実なら、鳥越さんは完全に「ペン」に見切りをつけたということなのか。

 己に弓ひく者を「悪」と決めつけて力ではねのけようとする76歳の「元ジャーナリスト」。彼の「正義」をしっかりと検証してくれる本当の意味でのジャーナリストがどこかにいないものかと心から思う。

(窪田順生)

最終更新:7月21日(木)8時38分

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