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フジロックの生みの親、日高正博の生き様「自分が聞きたくないものは嫌だ。それだけ」「3世代って夢だね」

withnews 7月23日(土)7時0分配信

 今年も夏フェスのシーズンがやってきました! すっかり夏の風物詩として定着した野外フェスですが、中でも20回目のフジロック・フェスティバルは、日本の「フェス文化」を築いた草分け。いまや「世界のFUJI」と呼ばれ、10万人以上が詰めかける巨大イベントも、はじまりは一人の男が抱いた夢でした。フジロックの生みの親・日高正博さん(67)は、自分の心に正直に、無謀にも見えた夢を次々とかなえてきました。その生き様は、まさにロックンロール!!(朝日新聞文化くらし報道部記者・岡田慶子)

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「ゴミの撤去だけで何千万円も」

 1997年の1回目は、台風とかいろんなことが起きたよなあ。俺たちも、警備や安全対策が万全じゃなかったから、会場までの道で渋滞が起きてバスが着かない。お客さんも山の中でのイベントに慣れてなくて、寝るとこも用意してない人ばっかりだった。今でも忘れられないのは、ゴミのすごさ。撤去だけで何千万円も払ったもん。そういう運営の難しさも含めて思い出だね。

 中止を決めたのは、2日目の朝4時くらい。(会場だった)天神山スキー場(山梨)の支配人を起こして、「すみません、中止します」って伝えて。

 それまでは、とにかくやりたいからやって、次の年のことなんて考えてなかった。でも支配人に「どうするんですか、来年?」って聞かれたから、「やる」って。

 好きな音楽を、自然の中でみんなで楽しもうっていうのは俺の夢だったし、実際30年近くかかったのかな。(コンサートプロモート会社)スマッシュを作ってからも14年。「とにかくこれじゃ終わらんぞ」って思ったんだよね。

「日本的な価値観をぶち壊したかった」

 イギリスのグラストンバリー・フェスティバルに行ったときに、ああ、理想だなって。ただ音楽をやるだけじゃなくて、舞台もやってるし、サーカスやコントとか、アトラクションもいっぱいあるし。こういうのが日本でできればいいなと思ったのがフジロックの始まり。

 日本にはずっと、音楽は座って静かに聞くもんだっていうのがあって。70年代って俺もよくコンサートに行ったけど、立つと座れって抑えつけられるし、ひどいと会場からつまみ出されちゃう。そういう日本的な価値観を、音楽を通じてぶち壊したかった。

 でも、最初はできるとは思わなかった。だから頭の中にずっと抱えて、誰にも言わなかった。

 ただ、旅行は好きだったから、ジープにキャンプ道具だけ載せてあちこち行った。それがだんだん、本格的な場所探しになったんだよね。行く先々で「ここどなたの土地ですか?」って。まるで不動産屋さんだよね(笑)。

 そういうことを延々やってたら、富士山のふもとに行き着いて。広さは不満だったんだけど、東京から1時間っていうのがよかった。実際には当日の台風で6時間もかかったんだよな。

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最終更新:7月23日(土)7時0分

withnews

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。