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【オーストラリア】【有為転変】第102回 ドッグレースの悲哀

NNA 7月22日(金)8時30分配信

 休暇を過ごした日本からオーストラリアに戻ると、意外なニュースが飛び込んできた。オーストラリアの総選挙結果ではない。ニューサウスウェールズ(NSW)州政府が来年6月末を最後に、グレイハウンド犬を走らせて賭けるドッグレースを廃止すると発表したことだ。筆者には、これまでドッグレースがいかに残酷かを説き、廃止を求める運動をしてきたオージーの友人がいる。さっそく彼女に、ニュースに驚いたと連絡すると、ちょうど筆者にメールを送ろうと思っていたところだったと言う。
 ドッグレースは発表後直ちに7日間停止され、正式には、2017年6月末で完全に廃止されることになる。NSW州のベアード首相は、ドッグレース業界に広がる組織的な動物虐待を容認することはできないと、廃止の理由を強調した。
 NSW州政府は約1年前、最高裁の元判事であるマクヒュー氏を長とする調査委員会を立ち上げていた。その調査報告書によると、同州では過去12年間にレース用のグレイハウンドが9万7,783頭飼育され、このうち4万8,891~6万8,448頭が、レースに勝てないことから殺処分されたことが分かったとしている。これは、殺処分されるグレイハウンドが毎年最大5,700頭に上る計算だ。
 ドッグレース廃止の発表で、業界や関係者らは騒然となったようだ。
 緑の党(グリーンズ)や動物保護関係者からは評価する声があったものの、「英雄気取りで全くばかげた決定」「自分に酔っているだけ」などの批判が、与党を形成する国民党などからも渦巻いた。
 ビクトリア州やクイーンズランド州、タスマニア州はこれまで通り、ドッグレースを支援していくことを明言したものの、首都圏特別区(ACT)はNSW州に追随する可能性も示唆している。
 
 ■3億豪ドル産業
 
 いささか驚かされたのは、ドッグレース業界がいかに残酷なのか……ということよりも、ひとつの業界が廃止されるということの決定があまりに唐突だったためだ。その驚きに加え、そもそも州議会が8月から始まるというのに、議会審議を経ずに決めていいのだろうか、という素朴な疑問もある。
 というのも、調教師などを含めたドッグレース業界関係者は1万人存在し、レース愛好家のクラブが35カ所あり、業界は3億3,500万豪ドル産業と言われる。
 NSW州にもたらす納税収入は毎年3,000万豪ドルに上り、周辺事業なども合わせると9,000万豪ドルの収入を誇るという。それを、鶴の一声でポンと廃止するというのだ。
 
 ■建前の背後に
 
 これが日本なら、一つの産業を握りつぶすような決定が、突然発表されることはあり得ないところだ。
 ベアード首相がこれほど強気に打って出たことで、前労働党政権時代に、輸出された生体牛が虐待されているとして、インドネシア向け輸出を全面禁止したことや、捕鯨に対するオーストラリア人の反応が想起させられる。
 愛着のある動物に対する保護意識に、おそらく日本人が想像する以上に、価値を置いているのだと推測される。
 だが今回はそうした「動物愛護」という建前以上に、その背後に見え隠れしているのは、潤沢な州財政だろう。
 事実、NSW州は6月末に発表した新年度予算案で、37億豪ドルに上る過去最高水準の黒字を発表したばかりだ。ドッグレース業界からの3,000万豪ドル程度の収入がなくなるのは取るに足りないと踏んだのだろう。
 その辺りが、動物愛護を前面に出せず、雇用や経済、食肉確保のために背に腹は替えられぬ世界の国々や、財政難に苦しむ西オーストラリア州やタスマニア州などとは決定的に異なるところなのだろう。
 さてわが友人は、メールで「自分も驚いたけど、ベアード首相の歴史的な英断を賞賛したい」と諸手を挙げて喜んでいた。7月24日(日)に黒の服をまとった参加者が、オーストラリア全土でドッグレース業界の残酷さを訴えるデモを行うのだという。次のターゲットは、タスマニア州だそうだ。
 
 ■日本にもできていた?
 
 ところで、日本にはギャンブルとしてのドッグレースはない。
 だが戦後、米占領軍のGHQが靖国神社を取り壊して、ドッグレース場にする計画を持っていた、という逸話が残る。その際、当時のローマ教皇庁代表のビッテル神父らが靖国神社取り壊しに反対して、結果的にドッグレース計画も中止されたのだという。一歩間違うと、靖国神社が存在せず、代わりに九段下にドッグレース場ができていた可能性があるのだ。
 しかし、たとえドッグレースが存在していた場合でも、日本ではまず間違いなく、動物保護を前面に出して300億円産業を握りつぶす決断のできる政治家は現れないとは思うけれど。<NNA豪州編集長・西原哲也>

最終更新:7月22日(金)8時30分

NNA