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東京の「地下鉄一元化」の話はどこへいったのか

ITmedia ビジネスオンライン 7月22日(金)8時6分配信

 7月14日に東京都知事選挙が告示された。報道では政党や陣営の綱引き、ネットでは誰それの発言を切り取った批判合戦。火事と喧嘩(けんか)は江戸の華、とはいえ、選挙はいつから人数合わせの「戦い」になってしまったか。顔を向け合って弾を打ち合うよりも、未来へ向けて政策を走らせる「競争」をしてもらいたい。

【猪瀬前知事の「バカの壁」発言で話題になった東京メトロ半蔵門線と都営新宿線ホーム】

 ただし「言うは易く行うは難し」では困る。この言葉は紀元前、中国の前漢で、国家による専売制や商業の是非を討論した議事録「塩鉄論」に由来している。国家が民間と利益を争うべきか。これは、今回のテーマ「東京都の地下鉄の一元化」の議論に通じる。

 東京都民であり鉄道好きでもある私の関心事は各候補の交通政策だ。その中でも、地下鉄一元化が気になる。

 東京メトロの輸送人員は1日平均707万人。都営地下鉄は250万人。合せて957万人だ。これは世界の地下鉄の中でもトップだという。ただし経営主体が分かれているため、乗り換えれば運賃が割高となり、乗換駅可能な駅も動線が分断されるなど不便も目立つ。そこで2010年に石原慎太郎都知事が東京メトロと都営地下鉄の一体化を提言し、後任の猪瀬直樹知事が引き継いだ。しかし、猪瀬直樹知事の退任後は進ちょくが報じられない。

●オリンピックのせいで放置されている

 これは舛添要一前都知事が地下鉄問題に無関心だったから、というわけではない。東京都議会の議事録を参照すると、今年2月25日の都議会「平成28年第1回定例会」の一般質問で、やながせ裕文議員が、地下鉄一元化および東京メトロ株の売却について、知事の所見を質問している。これに対して舛添前都知事は「地下鉄一元化は関係者間の意見の隔たりが多い。協議は継続する必要がある。そこまでは2020年(東京オリンピック)に向けて地下鉄全体のサービス向上に全力を挙げるべき」という趣旨の答弁だった。東京メトロ株の売却の意向はないと明言している。

 地下鉄一元化の協議は長引くから、その前にオリンピック対策をしようという話だ。「何だ、結局、舛添さんはオリンピックが大事なのか」と、今となっては苦笑しかける。しかし、「オリンピックで協議棚上げ」は猪瀬知事時代の方針である。さかのぼって「平成26年第1回定例会」の一般質問で、やながせ裕文議員が質問したところ、猪瀬知事は「経営一元化を展望しながら、2020年のオリンピック・パラリンピック開催を踏まえ、まずは、都民や外国人観光客の利便性向上に直結する地下鉄のサービス改善、一体化を一層進めていくことが重要」と答弁していた。

 2013(平成25)年に東京オリンピック開催が決定してから、あるいは招致準備の段階から、地下鉄一元化への取り組みは優先度が下がってしまったようだ。「東京の地下鉄の一元化等に関する協議会」の参加者は国土交通省、財務省、東京メトロ、東京都だ。この中で一元化を強く主張する立場は東京都のみ。他の3者は現状でもかまわない、あるいは現状のままのほうが都合がいい。東京都がオリンピックに熱心ならそれで良し、である。

 この問題で困る当事者は地下鉄利用者だけど、このままでは置き去りだ。乗り換えるたびに割高な運賃を払う必要がある。国内外からの東京来訪者は戸惑うばかり。本来なら「オリンピックを機会に地下鉄を統合しよう」となってほしかった。

●東京メトロの立場

 東京メトロの前身は「帝都高速度交通営団」という。私の世代だと、今でもうっかりして「営団地下鉄」「営団銀座線」などと言ったり書いたりするから要注意だ。帝都も営団も古めかしい言葉だ。帝都は「帝国の首都」、営団は「経営財団」の略だ。

 経営財団は国家が主要事業を統制するために作った事業体だ。帝都高速度交通営団は東京地下鉄道、東京高速鉄道、京浜地下鉄道と東京市の地下鉄計画を統合した。設立は1941年7月。この5カ月後に帝国陸軍はマレー半島に上陸、帝国海軍は真珠湾を奇襲する。

 戦時中は地下鉄のほかに、住宅営団や食料営団なども設立された。これらのほとんどは終戦後に解散、または公団に移行した。しかし、帝都高速度交通営団のみGHQの改組解散命令が出なかった。東京の復興のため、交通事業はしばらく統制が必要という判断だった。その結果、東京の地下鉄は営団地下鉄の独占事業となった。東京メトロに言わせれば「地下鉄はもともとオレのもの」だ。

 独立事業体の東京メトロは、東京都の一元化要求など突っぱねてもいいくらいだ。しかし東京メトロは東京都に対して強い態度には出られない。後述のように、東京メトロの二大株主の1つが東京都だからである。副社長も東京都庁からやってくる。

●東京都の立場

 東京都は営団地下鉄の設立以前から「交通事業は公営事業として自治体が担うべき」という考え方を持っていた。路面電車は統合して東京市電(後の都電)とした。山手線内は都バスの路線がほとんどだ。地下鉄も同様にしたい。この考え方は大阪や名古屋も同様で、現在も自治体の交通事業のあり方の1つとなっている。

 しかし、既に民間の地下鉄が開通していた東京では、国の方針で帝都高速度交通営団が設立されてしまった。ただし、東京都(当時は東京市)も出資者である。資本金は国が最も多く、次に東京市、東京の大手私鉄のいくつかも出資した。

 東京都の地下鉄事業は1958年から始まる。東京の復興の勢いがつき、交通整備が急務となった。しかし帝都高速度交通営団だけでは資金が乏しく、当初の計画通りに進まなかった。そこで国の諮問機関の都市交通審議会が答申第1号をまとめ、東京都の地下鉄建設を認めた。現在の都営浅草線は、もともと営団地下鉄が免許を持っていて、東京都に譲った路線である。

 答申第1号はこのほかに「大手私鉄の都心延伸は相互乗り入れにより実施する」という方針を定めた。これで大手私鉄各社の都心乗り入れ免許は返上され、営団地下鉄または都営地下鉄との相互乗り入れが始まる。こうして東京の地下鉄は営団地下鉄と東京都の分担時代になって今日に至る。そして東京都は「いつか営団地下鉄も都営地下鉄に統合しよう」と考えている。なにしろ営団地下鉄の出資者、東京メトロの株主だ。

●財務省と国土交通省の立場

 国土交通省は交通事業を統括する立場として中立な立場と言える。いや、国民にとって便利な交通機関を実現するなら、本来は一元化賛成の立場、リーダーシップを発揮していい。そうならない理由は、第4の当事者、財務省である。なぜここで財務省が絡むかと言えば、東京メトロの筆頭株主だからである。その経緯には国鉄の赤字問題と分割民営化が関係する。

 1951年に営団地下鉄の出資者と出資比率が変更された。公共性、公平性を維持するため、大手私鉄の出資金を返還し、その代わりに東京都が増資、国鉄が出資した。ところが国鉄は累積赤字問題を抱え、ついに分割民営化されてしまう。国鉄の出資金は国に返還されて財務省に継承された。その結果、営団地下鉄の出資比率は財務省が53.4%。東京都が46.6%になった。

 そして営団地下鉄は小泉純一郎内閣時代の「聖域なき構造改革」によって民営化へ向けて歩み始める。2004年4月、営団地下鉄は東京地下鉄株式会社、愛称は東京メトロとなった。出資金は同比率の株式に変換された。将来は完全な民営会社になるため上場する目標だ。東京メトロが上場し、株式を売却すれば、財務省(政府)と東京都は巨額の財源を手にする。

 これは国鉄がJRグループに移行し、JR東日本などが上場した事例に似ている。違いは会社が赤字か黒字か。営団地下鉄は黒字の優良案件である。つまり、財務省と東京都にとって、東京メトロの株は財産であり、その価値を高めたい。東京メトロの業績が伸びていく現状では、財務省にとって東京メトロは安全で増え続ける財産だ。

 こうなると、都営地下鉄の一元化は、東京メトロの価値を高めるか否か、という問題になる。財務省、東京メトロは都営地下鉄の長期債務を問題とし、一元化は東京メトロの価値を下げると考えている。対する東京都は「事業は黒字転換しており、債務は大きな問題ではないし、株式を高く売れるか、ということではなく、利用者の目線に立つべき」と主張する。

●4者協議の行方

 「東京の地下鉄の一元化等に関する協議会」は、2010年8月に第1回、2010年10月に第2回、2011年1月に第3回、2011年2月に第4回が開催された。第3回までは資料を元にした意見調整が行われ、東京都と3者の意見に隔たりがあることが確認された。第4回では、一元化の協議継続の確認と、東京メトロ早期完全民営化協議継続の確認、一元化しなくてもできる乗り換えと運賃の改善を実施する方針が決定した。ここで一区切り、という形である。石原都知事時代の案件であるけれど、この協議会の東京都側代表はすべて猪瀬副知事であった。

 その後、議論は「東京の地下鉄の運営改革会議」に移行して2013年7月に第1回、2014年1月に第2回が開催された。会議名からも分かるように、一元化という文字はなくなった。議事録や関連資料でも「地下鉄のサービスの改善・一体化」という文言になっている。出席者も東京都知事、東京メトロ社長ともに代理人である。そして第2回で早くも「中間とりまとめ」が作成され、2015年以降は開催されていない。

 東日本大震災以降の大変なときに開催されたことは評価したいけれど、石原元都知事が推進した東京オリンピック開催が決定すると、前述のように東京の地下鉄の一元化は棚上げになってしまった。東京オリンピックが終わったら協議が再開されるか。そして東京オリンピックに先行させる「サービスの一元化」の具体案が示されるか。新都知事の采配に期待したい。

 もっとも、利用者にとっては「割高な運賃」と「乗り換えの不便」が解消されたら、東京の地下鉄事業者が2社か1社かなどは大きな問題ではないとも言える。間を取り持つ国土交通省としても、東京メトロの価値を下げずに利便性を上げる方策が見つかれば丸く収まる程度の認識かもしれない。首都の交通をどう解決するか。国土交通省の知恵と指導力に期待したいが、塩鉄論も地下鉄論も「言うは易く行うは難し」である。

(杉山淳一)

最終更新:7月22日(金)8時6分

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