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《白球の詩》けが乗り越え成長 桐生第一・内池翔投手

上毛新聞 7月22日(金)6時0分配信

◎父と歩んだ野球人生

 最後の夏は、どんな結果になろうとも涙を見せないと決めていた。「後悔しないようにやれることはやってきた。3点取られたけれど、自分の投球はできた」。五回に2ランを浴びた時も、最終九回の打席に入った時も、整列して相手エースと握手を交わした時も、あえて笑った。

 3月20日の選抜大会の初戦。試合直前のアップ中に転倒し、右手を地面に突いた。肘に激痛が走ったが、コーチから「大丈夫か」と聞かれて「無理です」とは言えなかった。エースとしての意地だった。初めてマウンドに上がるのが怖いと感じた。

 肘が曲がらず、無理やり体を開いて投げても左打者の内角に決まらない。二回に一塁カバーに入るのが遅れて先頭の出塁を許すと、次打者の送りバントを二塁に送球したがセーフ。焦りが焦りを生み、7失点し四回途中に降板した。

 診断の結果は骨挫傷。右すねも疲労骨折していた。「普通は試合前にそんなけがをしない。野球の神様は本当にいるんだなと思った」。私生活を含めて一から見直した。

 選抜後の1カ月間は走れず、打てず、投げられず。グラウンドで厳しい練習に取り組むチームメートに「申し訳ない」と思いながら、室内で腹筋と背筋を毎日それぞれ1000回行い、自宅では筋肉が硬くならないようストレッチを欠かさなかった。

 腕の当て木が外れると、自らバッティングピッチャーを申し出た。練習に参加できない時はナインを励まし、片付けなどを率先して行った。福田治男監督も「練習態度が変わった。以前よりチームのことを気に掛けて声が出るようになった」と精神的な成長を感じていた。

 野球を始めたのは甲子園に出場した父、弘幸さんの草野球を見に行ったのがきっかけだった。小学1年の時、自宅のブロック塀にチョークで付けた印を目がけて投げた。その姿を見た弘幸さんは、同じようだった自身の幼い頃を重ね合わせた。「親子だなと思いました」。毎日2人で1時間の特訓が始まった。

 父が監督を務める少年野球チームで腕を磨き、休日になれば一つ下の弟も交じり3人で自宅近くの練習場でキャッチボール、ノック、投球練習に励んだ。中学や高校に入ってからも続いた。部活を終えて帰宅し、夕食後に練習場へ出掛けることもしばしばだった。

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最終更新:7月22日(金)6時0分

上毛新聞