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快進撃カープを作った太もも68センチの“中西太2世”

東スポWeb 7月24日(日)10時7分配信

【越智正典「ネット裏」】7月6日「男気」の投手黒田博樹が北陸路金沢で中日に敗れ、日米通算200勝を達成できなかったとき、広島のカープファンは喜んだ。次の登板日を計算してみると、達成は広島になる。それを待っていた13日、巨人戦に勝てなかったが。

 カープの快進撃に広島の町は沸き立っている。広島の放送局に勤めている友だちによると、各局ともカープ特番をずぅーと作っていて、毎日、放送している。7月3日の日曜日の夜は、いまは焼き鳥屋の主人に納まっている木下富雄を特集放送。東京にもネットされた。

 ナレーションは“名選手木下”。65歳。優勝への期待で盛り上がっているのだから、赤ヘル時代の彼らはみんな名選手でよい。カープ初優勝の前年の1974年に駒大から入団した彼はきらびやかではなく、どちらかというと地味な選手であったが、確か、その年だったと記憶しているが、巨人広島北海道シリーズの夜おそく、広島の宿舎の近くの札幌中島公園の木立のなかでバットスイングをしている彼を見かけた。スイングは当たり前だが、トレパン姿ではなかった。ユニホームに着替えていたのに、私は感動につかまった。

 特番制作で、スカウト統括部長苑田聡彦がモテモテである。彼の許に制作スタッフが続々。黒田を獲ったのも彼である。終わるとご苦労さんです…と、苑田は暑い日はうなぎの蒲焼きを振舞っている。

“中西太二世”苑田は64年、三池工業から監督白石勝巳のカープに入団。背番号「34」、11年間付け続けることになる。18歳の春である。三池工のときは監督原貢の家で小学生になる前の原辰徳とよく遊んでいた。彼のやさしさの始まりである…。カープは、前年かぎりで結団以来投げ抜いて来た“ちいさな大投手”197勝の長谷川良平が勇退し、コーチになっていた。チームは投打、新旧転換期であった。苑田は手首の強さが非凡で活躍する。

 いまは3番を張っている丸佳浩もそうだが、「神ってる」鈴木誠也を獲ったのも苑田である。鈴木は二松学舎大付の投手。12年夏の東東京大会では準々決勝で成立学園にコロリと負けている。苑田の投手としての評価はゼロ。が、きっとカープの気鋭打者になると確信した。

 苑田は先週、高校野球地方大会に出かける前に鈴木誠也に会っている。

「まだ、わしに勝てんところがあるぞ。太ももの太さが67センチだって…。わしは68センチ」。女子のウエストより太い。

「ももの太さはバットスイングとランニングに精通している“証明書”さ」。苑田はこういって鈴木誠也を激励した。もっと励め!というかわりであった。

 夏の全国大会のときもそうだが、苑田は高校球児調査の出張先では、夜自分の下着類洗濯の“達人”になる。決してコインの洗濯機を使わない。自分の手で洗っている。 =敬称略=

 (スポーツジャーナリスト)

最終更新:7月24日(日)10時16分

東スポWeb