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日米通算200勝の先人・野茂 メジャーへの道開いたパイオニア

デイリースポーツ 7月24日(日)10時0分配信

 広島・黒田博樹投手(41)が、23日の阪神戦(マツダスタジアム)で今季7勝目を挙げ、日米通算200勝を達成した。日本選手で日米通算200勝に到達したのは、近鉄からメジャーに移り、通算201勝を挙げた野茂英雄に次ぐ2人目の快挙。日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂の足跡にも、あらためて光を当てる快挙となった。

 野茂は社会人・新日鉄堺から1989年度ドラフト1位で近鉄に入団。ドラフトでは史上最多の8球団が1位指名で競合した目玉選手だった。トルネード投法で旋風を巻き起こし、1年目の90年から4年連続で最多勝を獲得するなど、球界を代表する投手となった。

 しかしプロ5年目の94年シーズンは右肩を痛めて8勝にとどまる。シーズン後、起用法や代理人交渉を巡って球団とあつれきが生じ、契約交渉が難航。当時は海外球団へ移籍するFA制度やポスティングシステムはなかった。しかし両者とも妥協せず、その去就を巡って大騒動に発展した。

 結局交渉はまとまらず、野茂は任意引退となる。そして日本球界では前例のない形でドジャースへ移籍。村上雅則以来、2人目の日本人メジャーリーガー誕生だった。

 日本では実働5年、通算78勝に対し、メジャーでは実働12年で通算123勝。最多奪三振2度獲得し、1996年と01年にノーヒットノーランを達成した。野茂が移籍した後には、日本のプロ野球からメジャーへ渡る制度がつくられていった。

 2014年には日本の野球殿堂入りを果たしている。殿堂入りの記者会見は通常、東京ドーム内の野球殿堂博物館で開かれるが、野茂が会見したのは兵庫県豊岡市内のホテルだった。オーナーを務めるNOMOベースボールクラブが主催する少年野球大会が控えているだめだった。「そういうスケジュールを組んだほど、殿堂は考えてもいませんでした。(現役時代は)あまり(投票権を持つ)記者さんと仲良くなかったから」と、冗談めかして話していた。

 しかし45歳4カ月での殿堂入りは史上最年少で、候補者となった1年目での選出は3人目だった。物議を醸した海を渡ってから長い年月を経て、その功績は誰もが認めるものになった。そして黒田らの日本投手が、野茂が切り開いた道を歩んでいる。

最終更新:7月24日(日)11時41分

デイリースポーツ

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