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《白球の詩》元気でチーム支える 桐生商・提橋海斗内野手

上毛新聞 7月24日(日)6時0分配信

◎ムードメーカー奮闘

 この夏はなぜか、初戦から3試合連続で死球を受けた。4回戦は1点リードされた八回、無死一塁の場面で足に。ベンチから「大丈夫か」と声を掛けた武藤賢治監督に、目いっぱいの声量と笑顔で「いけまーす」。武藤監督は「じゃあ大丈夫。そういうやつなんで」と振り返って、くすりとした。

 いわゆるムードメーカーだ。死球で出て踏んだ決勝ホームは2度。強運ぶりも際立った。二遊間でコンビを組んだ久保田悠太主将は「何か人と違う。彼がいるだけでチームが明るくなる」と評し、助けてもらったと感謝する。「野球って雰囲気のスポーツ。自分は元気が取りえなので、一番元気を出してチームを盛り上げる」。提橋はそれを自身に課してきた。

 小3の時、友人に誘われて少年野球チーム「伊勢崎イーグルス」に入団し、野球を始めた。初めての試合で、慣れないチームメートも声を掛けてくれた。一丸でボールを追いかけた時の楽しさが格別だった。いっぺんに野球のとりこになった。

 中学時代は部活動だけでなく、桐生市を拠点とする同世代の軟式クラブチーム「KBCクラブ」でも腕を磨いた。平日は部活動後に、土日も午後いっぱい使って練習ざんまい。女手一つで育てる母、千波さん(42)が片道1時間の送り迎えで背中を押した。

 一度だけ音を上げた。チームに解けこめるか不安が膨らみ、やめようとした提橋を、KBC監督の関口善三郎さん(83)が諭した。「お前が一番好きなのは野球だろう。やめてしまったら、お前らしさがなくなってしまう」。自分の甘え、弱さに気付かされた。そこでやめていたなら、どんなにもったいなかっただろうと、今にして思う。

 進学先を選ぶ際も、なれ合いの環境では成長しないと関口さんに指摘され、見返したいと反骨心が生まれた。公立で甲子園に、との思いもあり、厳しい練習で知られる桐生商に決めた。ミスすれば全員に追加メニューが課される練習は確かにつらかったが、迷いはなかった。「いつも終電で、死にそうな顔をして帰ってきたけど、一度も弱音は吐かなかった」と千波さん。頼もしさを増した一人息子に目を細めた。

 「雰囲気のスポーツ」とは桐生商で指導を受けた高橋正志コーチの言葉。わが意を得て、元気でチームを支える決意は強まった。劣勢をはね返せなかった準々決勝でも、守備から戻る仲間を「元気出してやろう」と励まし、最終九回の打者にベンチで「いけー」と張り上げた声は、ひときわ球場に響いた。「全員で最後まで諦めずに戦うと決めていた。最後は一つになれた」。自分が一番元気を出せたことにも確信がある。

 球児としての夏は終わったが、大学に進んで野球を続けるつもりだ。体育教員となって母校に赴任し、甲子園を目指す新たな夢を抱く。「監督になったら…まずは元気のあるチームにしたい」。原点はぶれない。
(小倉壮史)

最終更新:7月24日(日)7時16分

上毛新聞

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