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1786日ぶりのウイニングボールは、母の手に。ヤクルト由規は、怪我から蘇った

BuzzFeed Japan 7/25(月) 18:52配信

ヤクルトの由規が24日の中日戦(ナゴヤドーム)で先発。6回途中2失点の好投で、2011年9月3日の巨人戦以来、1786日ぶりの白星を挙げた。

球団マスコットのつば九郎が「みんながうれしい。ほんにんが。かぞくが。きゅうだんのみんなが。ちーむのみんなが。そして、いつまでもまってた、お~えんしてくれるみんなが」とブログで語ったように、家族、チームメイト、ファンの誰もがこの勝利を待ち望んでいた。

由規は仙台育英高時代に2年夏から3季連続で甲子園に出場。3年夏には甲子園最速となる155キロを記録した。

その年の高校生ドラフトでは中田翔(現日本ハム)、唐川侑己(現千葉ロッテ)と並び「高校ビッグ3」と呼ばれ、5球団競合の末にヤクルト入り。

指名後の会見では家族への感謝を述べながら泣き、「泣き虫王子」と呼ばれた。プロ入り3年目の2010年目には12勝と飛躍。その年8月の試合では、当時日本人最速となる161キロを投げた。

突然の怪我、長きリハビリの日々の始まり

2011年も先発の一角として期待されたが7勝にとどまり、9月9日には右肩の張りで登録抹消となる。本人も周囲もすぐに戻ってこれると思っていた。だが、長く険しい道の始まりだった。

1年半懸命にリハビリに取り組むが、実戦復帰にはたどり着かない。2013年4月11日に右肩クリーニング手術を受けることを決断する。投手にとっては何よりも重要な部分にメスを入れる。手術が失敗する可能性もある。

様々な葛藤を抱えながら、手術を決断した思いについて由規は2013年4月6日のブログでこうつづっている。

「投げたい。その気持ちが一番でした」

手術を受ければ実戦復帰まで半年の予定だった。だがマウンドが遠い。

復活時期が見えず、前に進んでいるかも分からないリハビリの日々。確かなのは野球選手としての寿命が一日一日と確実に減っていることだけだった。

由規の兄・史規さんは2015年放送のフジテレビ「グラジオラスの轍」で、普段は弱音を吐かない由規がこの時期「『頑張ってね』との一言がプレッシャーになっていた」と弱音を吐いていたと明かしている。

由規が野球を始めたきっかけは史規さん。由規が左利きなのに右投げなのは、右利きだった史規さんのお下がりのグラブを使ったからだ。

史規さんは東北高、東北福祉大で捕手を務めたが、大学2年生で野球を辞め、才能のある由規と、三男で2011年にヤクルト入りした貴規のサポートに回った。

2014年1月、手術後初のブルペンで捕手を務めたのも史規さん。手が腫れるまで由規の投球を受けたこともあった。

弟・貴規は由規と一緒に1軍でプレーすることを夢みたが、2014年に戦力外通告を受ける。

野球に対する気持ちが薄れ、野球から離れようとした貴規の気持ちを思いとどめたのは、懸命にリハビリする兄からの「辞めたら一緒にやるチャンスがなくなる。辞めないでほしい」との言葉だった。

貴規は2015年からBCリーグの福島ホープスでプレー。プロ野球への復帰と、兄弟対決を夢見ている。

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最終更新:7/25(月) 18:52

BuzzFeed Japan

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