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「最初から、逃げるつもりはなかった」 南相馬に残った夫婦の48年 もう言葉を交わせなくなった妻と…

withnews 7月27日(水)7時0分配信

 「最初から、逃げるつもりはなかった」。福島第1原発から25キロの南相馬市に、震災の日、家に残り続けた夫婦がいます。もう意思の疎通ができなくなった妻を支える夫は「彼女が側にいるおかげで魂の重心を低くでき、不思議な勇気と落ち着きをもらった気がします」と語ります。夫婦の48年を振り返ります。

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いつでも、「パパ、頑張って」

 一枚の写真があります。1968年に撮影されたものです。

 20代だった佐々木孝さんと美子さんは婚約中。二人を包む幸せそうな空気が、見る者に伝わってきます。

 上智大学でスペイン語と哲学を学んだ後、故郷の福島・原町(現・南相馬市)に戻った孝さんと、青山学院大を卒業して福島市の母校で英語教師をしていた美子さんとの出会いは、48年前。

 お互い一目惚れで2ヶ月の短い交際を経て、婚約し結婚しました。

 孝さんはその後、スペイン思想の研究者になり、東京や静岡の大学で教鞭をとります。

 評論などの文章を書くとまず美子さんに見せてきました。
 美子さんはいつもほめてくれ、「パパ、頑張って」と応援してくれました。

生徒の成績処理ができなくなった…

 その美子さんが「生徒たちの成績処理ができなくなった」と不調を訴えたのが、15年ほど前のことでした。

 パスポートのサインができないなど症状は徐々に進みました。ただ、二人とも淡々と受け入れて、取り乱すようなことはありませんでした。

 当時、美子さんが書いた「色々なことが考えられなくなっている」というメモが残っていました。

 7年ほど前からは意思の疎通も難しくなりました。

 孝さんはもともと、短気な性格です。食事をさせようとして顔を背けられるなど、努力を無視されるとイライラすることもあったといいます。

 でも、以前のような分別はもうつかないのだと、気持ちを切り替え、ゆっくりと待つことにしました。

原発事故。でも最初から、逃げるつもりはなかった

 2011年3月、25キロ離れた福島第1原子力発電所で事故が起きました。

 南相馬市がバスを用意して避難を促し、一帯はほぼ無人になりました。

 夜になっても近所の家に灯はともらず、真っ暗なままです。

 新聞も郵便も宅配便も、届かなくなりました。
 でも、孝さんは最初から逃げるつもりはありませんでした。美子さんが避難所生活に耐えられないことは明らかだったからです。孝さんは振り返ります。

 「歩行も不自由になっていた認知症の妻が側にいなければ、私はもしかして、残るという決断をしていなかったかもしれません。障害のある妻が側にいるおかげで魂の重心を低くでき、不思議な勇気と落ち着きをもらった気がします」

 「すべてが浮足立っていたあの頃。病人や老人を無理に搬出して、たくさんの命がなくなりました。とがめる気持ちはありませんが、誰も反省したり恥じ入ったりしたとは聞かない。不思議なことです。事故がなかったかのように、原発利用が推進される状況と通じるものがあります」

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最終更新:7月27日(水)7時0分

withnews