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萩野公介「初めて味わった挫折を人間力を高める糧に」

東スポWeb 7月26日(火)10時0分配信

【水の怪物 萩野の原点(1)】南米大陸で初開催となるリオデジャネイロ五輪が、いよいよ8月5日(日本時間同6日)に開幕する。金メダル14個を目標にする日本選手団の中で最も金に近い一人が、競泳で男子400メートル個人メドレーなどに出場する萩野公介(21=東洋大)だ。本紙は短期集中連載「水の怪物 萩野の原点」で、水泳界のエースを徹底解剖し、4年間の成長とリオでの活躍を占う。第1回は右ヒジ骨折のアクシデントを乗り越えるまでの胸中に迫った。

 昨年6月末に、思いもよらぬアクシデントに見舞われた。合宿地フランス・カネで自転車を運転中に転倒。右肘橈骨頭(とうこつとう)骨折で世界選手権(ロシア)を棒に振った。初めて味わう大きな挫折。リハビリ中に気づいたことがある。

 萩野:「一人じゃ生きていけないな」と、すごく素直に思いました。一人で風呂も入れないから、小堀(勇気=22、ミズノ)さんに背中を洗ってもらったり、後輩にご飯を取ってもらったり、寮では「大丈夫ですか」って心配してくれるし、みんなに勇気づけられた。自分は、みんなに支えられている。本当に心の底から思うのは、自分のホームは、あそこ(東洋大)のプールであって、あのメンバーであって、そういった人たちに自分は恩返しをして、いい結果を出さなくちゃいけない。先生方や親、チームメートもドクターもそうですね。

 当初、全治2か月と診断された右ヒジ。しかし、リハビリは予定通りには進まなかった。ヒジが完全に伸び切らない。泳げば必ず、患部が腫れる。練習とケアの繰り返し。知人の紹介で群馬の病院までセカンドオピニオンに訪れた。不安と焦りは募ったが、それでも諦めなかった。

 萩野:投げ出したいと思ったことはないです。逆にやることが明確になりました。ボクには道が一本しか残っていない。逆にやりやすかったですね。何でも選択できる状況のほうが人間って甘えてしまうと思う。ケガしたら、治すしかない。「治すかやめるか」だったら、ボクは治すほうを絶対取りますから。

 上半身のトレーニングが無理できない分、下半身を集中的に強化し、肉体改造を図った。ケガの回復が遅れたため高地合宿を行う計画は変更されたが、目標はブレなかった。水泳部の雑用やマネジャーの仕事も率先して手伝った。

 萩野:みんなの泳ぎを見たり、タイムも取っていました。インカレ本番の時は、どうしても人員不足になる。マネジャーさんの仕事を手伝わせてもらったり、いろいろな経験をさせてもらった。水泳部の動きに関わる機会が増えたので、それによって、選手では見れていないものが見れたりっていうことがありました。

 ロンドン五輪後の4年間で泳ぎは確実に進化したが、それだけでは五輪などの大舞台では通用しないことを学んだ。北島康介氏(33)を育てた東洋大の平井伯昌監督(53)が入学時から言い続けてきたのは、人間力の向上だった。

 萩野:人が持つ要素の総合が人間力だと思う。肉体的にも頭もそうですし、行動、姿勢とか、いろいろなものを含めて。生きている限り、人間力がマイナスになることはない。「あのころのほうがよかったね」「あの時のほうがいい子だったね」っていうのは、ほぼほぼない。そう感じる場合があるとすれば、本質が隠されていた時だし、本当のその人が見えてなかったときだと思う。

 後悔はしていない。後戻りしたとも思っていない。負傷は自身の「人間力」を高める肥やしになった。リオではリレーを含め、4種目に出場する。400メートル、200メートル個人メドレーは今季世界ランキング1位。支えてくれたすべての人に恩返しするため、金メダルを奪取する。

 萩野:その時の悔いのないように泳ぎ切ることが、五輪では一番必要なことかなと思います。練習でやってきたこと、試合で学んだこと、すべてを含めて自分の力を出し切りたい。それが結果につながると思います。

 ☆はぎの・こうすけ 1994年8月15日生まれ。栃木・小山市出身。生後6か月で水泳を始め、高校生で出場した2012年ロンドン五輪では400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。13年日本選手権では史上初の5冠を達成。14年仁川アジア大会(韓国)では金4、銀1、銅2のメダルを奪取し、大会MVPに選出された。4種目で日本記録を持つ。177センチ、71キロ。

最終更新:7月26日(火)10時8分

東スポWeb