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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (4) 仏教文化の影響理解が必須 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 7月26日(火)6時30分配信

Q. ミャンマーは、日本と同じ仏教国と聞いていますが。
A. その通りです。ビルマは敬虔な仏教国です。でもその仏教は「上座仏教」で、日本の「大乗仏教」とは異なっています。

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Q. 同じ「仏教」という名前がついているのに異なる仏教なのですか?
A. かなり大ざっぱにいえば、阿弥陀如来や観音菩薩など、外部に救済者を認める(求める)日本の大乗仏教と「絶対神を信仰する一神教」のキリスト教やイスラーム教を一つのグループとすれば、その対極にあるのが上座仏教です。上座仏教は外部に超越的な存在を認めません。
おおざっぱにいうと、<イスラーム、キリスト教、大乗仏教>に対して<上座仏教> という枠組みになります。(詳細は佐々木閑『犀の角たち』を参照)

Q. 日本の映画にもビルマのお坊さんの話があったような気がします。
A..アジア・太平洋戦争時にミャンマー(ビルマ)侵攻した日本軍兵士の話ですね。竹山
道雄さんの『ビルマの竪琴』という小説です。この小説は何度か映画化もされています。実は、この小説と映画が有名になったことで、ミャンマー(ビルマ)の仏教が誤解された原因ともなりました。『ビルマの竪琴』は作り話です。ドイツ文学者であった竹山さん自身が次のように説明しています。

 《『ビルマの竪琴』は「空想の産物です。モデルはありません」「私はビルマに行った
ことがありません。いままでこの国に関心も知識もなく」「何も知らないでかいたのです
から、まちがっている方が当然なくらいです」》
 この誤解をもとにして、さらに不正確な説明がされることもあります。すなわち、『ビ
ルマの竪琴』が作り話だと知っているビルマ通の人が、次のように解説するのです。
 《『ビルマの竪琴』は創作物です。ビルマは上座仏教ですので、僧侶が琴を奏でたり、
鸚哥(インコ)を飼ったりすることはありません」と》

ところが実際、観光でミャンマーを訪れると、最大都市ヤンゴンなどでは音楽CDやサングラスを買い求めたり、喫茶店で腰を下ろしてお茶を飲みながら煙草を口くわえ、お布施で得た紙幣を数えている僧侶に遭遇します。これがあの戒律の厳しい上座仏教の教えの土地なのかと、目を疑うような光景を目にすることになります。いったい上座仏教の僧侶は厳しい生活をおくっているのか、はたまたそうでないのか。

1980年のサンガ法(僧侶法)によってミャンマー仏教は9つの宗派に分かれ、戒律の厳しいシュエジン派の僧侶の姿は、托鉢以外ではあまり目にすることはありません。私たち外国人が街中で日中見かける僧侶は戒律の緩いドゥータマ派の僧侶で、僧侶の違いにがることに気づくのに時間がかかるのです。

外国人は、街角で見かける戒律の緩い僧侶たちに対しても、ミャンマー僧侶に対して持つ敬虔な仏教徒のイメージを重ね合わせるのです。実際、ミャンマー社会で暮らしてみると、信仰としての上座仏教と日常生活の仏教(現世利益を求める)はどうやら共存していることに思い至ります。

また外国人にはあまり知られていませんが、現地の人びとの生活の中には「表の上座仏教」に対して「裏の精霊信仰〈ナッ信仰〉」があまねく存在しています。(つづく)

最終更新:8月1日(月)15時29分

アジアプレス・ネットワーク