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殉教の地・卯辰山で祈り 浦上キリシタンの子孫10人

北國新聞社 7/27(水) 3:24配信

 1869(明治2)年、明治政府により長崎・浦上から金沢市に配流された「浦上キリシタン」の子孫10人が26日、同市を訪れ、先祖が暮らした卯辰山を巡った。子孫は「先祖の息遣いが残る金沢は特別な場所」と、卯辰山にある「長崎キリシタン殉教者の碑」の前で祈りをささげた。一行は今後、市内の関係者とも交流し、苦難の中で信仰を守り通した先人をしのぶ。

 一行は、浦上のキリシタン松尾円蔵(1830~81)の子孫で、円蔵のやしゃごであるカトリック鷺沼教会(川崎市)主任司祭の松尾貢さん(68)が叔母や子らとともに、円蔵が暮らした織屋や養生所の跡地を回った。長崎キリシタン殉教者の碑前では手を合わせ、先人をしのんだ。

 同碑を建立したカトリック金沢教会は毎年9月に「浦上キリシタン」をしのぶミサを営んでいる。松尾さんは「迫害に負けず、生き続けた先祖の精神を、金沢の地で守り続けていただき、うれしい」と感謝した。

 松尾さんによると、飢餓などで命を落とすキリシタンもいた中、円蔵は一緒に金沢へ流された家族7人とともに1873年に長崎へ帰還したという。その後、松尾家は長崎で原爆に遭い、金沢での生活を伝える品は何一つ子孫の手元に残っていない。

 今年3月、松尾さんの母エミ子さんが90歳で亡くなった際、親戚一同が集まり、先祖の信仰心の厚さに思いを馳せた。前田家の客将として加賀藩で26年間過ごしたキリシタン大名・高山右近が「福者(ふくしゃ)」に認定されたこともあり、松尾さんらは金沢で先人の苦難の跡をたどることを決めた。

 一行は27日、卯辰山の殉教者の碑前でミサを営み、帰路に就く。

 松尾さんは「今後は金沢の信者との交流を通じて、代々受け継いできた信仰を伝えていきたい」と話した。

北國新聞社

最終更新:7/27(水) 3:24

北國新聞社

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