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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (6) 軍政の強要で「ミャンマー国民」意識が拡がる 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 7月28日(木)6時30分配信

Q. ミャンマー人の一般の人々の民族意識とはどのようなものですか?
A. ミャンマーの人に民族意識が生まれ、広められたのは英国の植民地政策が始まりです。

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Q. 植民地政策と民族意識は関連あるのですか?
A. 税金を徴収するために、人口調査や土地の区分けが必要になってきます。つまり、どこに、誰が、どのような暮らしをしているのかを記述していくのです。ただ闇雲に線引きをしたのではなく、英国が行った区別や区分けを受け入れる状況や慣習が当時、その土地の人びとや地域の間にあったことは確かだと思います。

Q. 英国の植民地前のミャンマーは、確か王様がいたと思うのですが、英国の植民地政策で王制は滅んでしまったのですか。
A. そうです、王様がいましたし、ミャンマーの最後の王は仏教徒のビルマ人でした。英国の植民地支配の過程で、これはあまり知られていないことですが、王制を廃止することによって、王と仏教の僧侶集団(サンガ)の関係が崩れ去ったことは重要なことなのです(※ここで詳細には触れません)

ミャンマーは1948年、英国の植民地支配を脱し独立します。しばらくは民主政治体制が続くのですが 、やがて少数派諸民族の自治権獲得のための武装闘争や共産党の勢力の拡大で内戦状態となり、内政が混乱して1962年、軍部のクーデターが起こります。軍政はその時から始まり、2011年3月まで続いたのです。

軍政は力の支配でビルマ族中心の国の統一を推し進め、国家運営を強行します。その際、各民族を抑圧する政策をとったため、その反動でかえって諸民族の民族意識を高める結果となってしまいました。

Q. 各民族の、ビルマ族(ミャンマー族)中心の国家形成に対抗しようとする民族意識は今も続いているのですか。
A. この数年、急激な変化を起こしています。私はこれまで23年かけてビルマ全土を歩きまわり、それぞれの訪問地で出会う人びとに、機会があれば「バー・ルゥーミョー・レー?(あなたは何人〈何民族ですか〉?)」と聞きました。
  ※「ルゥーミョー」とはビルマ(ミャンマー語)語で「人種・民族」という意味

Q. どんな答えが返ってきましたか?
A. 2002年頃までは、ミャンマー人なら「バマー(ビルマ人です)」と答えてくれました。(注:歴史的に「ビルマ(バマー)」は口語表現として、「ミャンマー」は文語表現として使われてきた)
また、カチン(ジンポー)の人であれば「カチン人です」、カレン人なら「カレン人です」、チン人なら「チン人です」などと返ってきました。

ところがこの数年、軍政時代の「ミャンマー」呼称教育が徹底してきたのか、「あなたは何人(何民族ですか?)」という質問に対して「ミャンマー(ミャンマー人です)」と返答する人びとが増えてきました。

ミャンマー族の人が「ミャンマー」と答えるのはまだ理解できましたが、ビルマ(ミャンマー)族以外の人が「ミャンマー」と即答する人がほとんどだったのには驚きました。
そこで、「ミャンマー(人)」と答えた人に対して、「バマー(ビルマ族)ですか?」と重ねて質問をするようにしました。すると、ビルマ族の人なら「バマー」との返答があり、それ以外の民族の人なら、例えば「カレン人です」とか「モン人です」という返事がありました。

軍政下で「ミャンマー」という語句の使用を強制してきた結果として「ミャンマー」と答える人が増えてきたようです。さらに、2011年の民政移管前後から、ミャンマー国民としての意識から「ミャンマー」と返答する人が日常的になってきました。

民政移管後のビルマでは、ビルマ族の人に限らず、ラカイン族やカレン族などの少数派民族の人びとも最近、自分たちのアイデンティティを「民族」よりも「国民」の方により強く意識を持つようになっている。そんなことに改めて気づきました。(つづく)

最終更新:8月1日(月)15時50分

アジアプレス・ネットワーク