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ARM買収は孫氏の個人的な願望?――米国業界関係者の見解

EE Times Japan 7月29日(金)11時36分配信

■ARMに3兆円を投じるソフトバンク

 ソフトバンクが、ARMを買収すると発表した。これにより、ソフトバンクが普通のコングロマリット(複合企業)ではないことが明確に実証されたといえるだろう。ソフトバンクグループのCEO(最高経営責任者)である孫正義氏は、スマートかつ強固な意志を持ち、優れた陣頭指揮を執ることによって、これまでに何度も今回のような大胆な賭けに出て、金融市場を驚かせてきた。

 ソフトバンクは日本企業だが、堅苦しいステレオタイプを否定している。日本企業の慣習を挙げるなら、意思決定が遅々として進まない、官僚的な苦境から抜け出せない、社内議論が果てしなく続く、島国根性、優柔不断による極度の停滞状況、などだろうか。しかしソフトバンクには、こうした習わしは存在しない。

 しかし、今回のソフトバンクのARM買収をめぐり、部外者たちが頭を悩ませているのは、ソフトバンクそのものに関する問題だ。

 当事者たちにとって、一体どのようなメリットがあるのだろうか。もっと率直に言うと、ソフトバンクにとって、ARMに320億米ドル(約3.3兆円)もの大金を投じることに、本当に意味があるのだろうか、ということだ。

 一部の業界アナリストたちは、「今回の買収は、ARMの市場見通しや、IoT(モノのインターネット)の今後に関する現実的評価よりも、孫氏自身について、より多くを物語っているのではないか」と考えているようだ。

 米国の市場調査会社であるThe Linley Groupでシニアアナリストを務めるMike Demler氏は、EE Timesの取材に対し、「今回のARM買収は、CEOである孫氏自身が、徹底的に財務分析を行った結果として実行したというよりも、市場リーダーとしての地位を獲得したいという個人的な願望によって、実行したのではないだろうか」と述べている。

 Demler氏は、「孫氏は記者会見の場で、『ソフトバンクはこれまで、特定の市場分野で第1位の座にある企業を買収したことがない』と語っていた。ARMは、大きな成長の可能性を秘めているため、孫氏にとっては、自分のM&Aポートフォリオの中で素晴らしい戦利品の1つになるのではないか。しかし、320億米ドルもの資金を投じたという点については、理解し難い」と述べる。

■ソフトバンクの原点

 まずは、ソフトバンクのこれまでの経歴を見てみよう。

 孫氏は1995年に、8億米ドルを投じて米国の技術コミュニティーに参入した。このコミュニティーが後に、大規模なコンピュータ関連の展示会「COMDEX」となる。ソフトバンクは、海外ではほとんど無名だったため、同氏は大きな賭けに出たのだろう。同氏は当時、日本では既に伝説的人物だったが、海外での知名度はないに等しかった。

 孫氏は20年以上前当時、“日本のビル・ゲイツ”と称され、ソフトバンクは“日本のソフトウェアプロバイダーおよび出版会社”として紹介されている。

 ソフトバンクについて最も注目すべき点の1つは、孫氏が20年以上にわたり、ソフトバンクで経営トップの座を維持してきたという点だ。ソフトバンクはいろいろな意味で、孫正義そのものであり、孫正義そのものがソフトバンクなのである。

 孫氏は長年にわたり、機敏にソフトバンクのかじを取り、技術業界の変化に従いながら幅広い独自性を確立するという実績を積み重ねてきた。

 ソフトバンクは今や、通信およびインターネットを手掛ける巨大企業であり、もはやコンピュータソフトウェアメーカーではない。ブロードバンドや固定回線、eコマース、インターネット、技術サービス、金融、メディアなど、幅広い事業を展開している。

■合併買収による成長拡大

 孫氏はこれまで、度々大きな賭けに出ることでソフトバンクの変革を成し遂げてきた。大きな利益がもたらされる時もあれば、勢いを削ぐような結果となる場合もあった。

 Demler氏は、「孫氏は、YahooとAlibabaの買収によって優れた投資実績を実現したことを誇っているようだが、Sprintの存在を都合よく無視しているのではないか」と指摘する。現在も苦戦が続く米国の通信事業者Sprintは、ソフトバンクの傘下にある。

 ソフトバンクが利益を得た買収案件としては、2000年に2000万米ドルを投じて買収した、eコマースのAlibaba Group Holdingが挙げられる。その企業価値は現在、650億米ドルに達する。また、ソフトバンクは2006年に、Vodafoneの日本国内の不採算部門を150億米ドルで買収したことにより、市場第3位の通信事業者としての位置付けを獲得することができた。

 ソフトバンクはここ数カ月の間に、Alibabaと、スマートフォンゲーム開発メーカーであるガンホー・オンライン・エンターテイメント、フィンランドのモバイルゲームプロバイダーSupercellの株式を売却することで、180億米ドル(2兆円)の資金を調達していたという。

 今回ARMの買収を実現できた背景に、孫氏の大胆さと、資金調達があったのは間違いないだろう。

■IoTやAIへの根拠なき熱狂

 孫氏は、ARMの買収を発表するにあたり、ソフトバンクの次なる成長の原動力として、IoTと人工知能(AI)を大々的に取り上げている。

 しかし、ここに問題がある。

 ソフトバンクは、ARMの競合相手でも顧客でもない。このため、孫氏が自分の投資ポートフォリを拡大したいという目的以外に、なぜARMを必要とするのかがよく分からないのだ。

 The Linley Groupの Demler氏は、「ソフトバンクが今回ARMを買収した最大の要因は、孫氏がIoTに対して“根拠なき熱狂”を示しているためではないか」と推測する。

 Demler氏は、「孫氏はこれまでに、インターネットへの投資を成功させている。このため、IoTについても同様に考えているのではないだろうか。しかし、IoT事業のハードウェアの側面に関しては全く別物だということを、同氏が理解しているという確証はない」と指摘する。

 ただ、もし全てがうまくいけば、IoT市場においてハードウェア事業に資金を提供するためのサービスプロバイダーを確保するのは、悪いことではない。「ソフトバンクには、モバイルサービスプロバイダーとして、IoT市場を進展させる役割がある」とする見方もあるだろう。

 AIについても同様に、孫氏の根拠なき熱狂の一例といえるかもしれない。しかし、孫氏のロボットに対する情熱は、これまでにも広く知られている。

 ソフトバンクは2014年に、フランス パリを拠点とする新興企業Aldebaran Roboticsとの協業により、業界初となる、人間の感情を理解することが可能なロボットを開発している。

 ソフトバンクが推進している人型ロボット「Pepper」は、“感情”を持つとされる。Pepperは、人間に近づいて会話できるため、看護師やベビーシッター、持ち運びが可能なエンターテイナーに至るまで、さまざまな役割を担うと期待されている。

■毎分1つのアイデアを出す

 ソフトバンクの前プレジデントを務め、最近退任を発表したNikesh Arora氏は、米Fortune誌のインタビューの中で、「孫氏はいつも、驚くほど熱意にあふれている」と語っている。

 Arora氏は、「孫氏は非常に前向きであるため、楽観視しすぎて我を忘れてしまうこともある。同氏と一緒に何かを成し遂げるには、そのような同氏の熱意をなだめることが必要な場合もある」と述べる。

 またArora氏は、孫氏のロボットに対する情熱について、「孫氏は、1分ごとに新たなアイデアを生み出す。最近では、ソフトバンクの取締役会において、『心を持ったロボットを作りたい』という突拍子もない展望を語った。脳の理性をつかさどる部位として、IBMの人工知能『Watson』を採用し、そこに感情を担当する部位を構築するという。私には正気の沙汰とは思えなかったが、孫氏はそれを実行した。現在、1カ月当たり1000台を売り上げている」と述べている。

■今後30年間の展望

 孫氏が普通のCEOでないのはよく分かるが、ソフトバンクもまた普通の公開会社ではないといえるだろう。同社はWebサイト上で、企業グループとしての今後30年間の成長について、展望を語っている。

 同社はその中で、「ソフトバンクは情報業界の中で、その時々に最も優秀な企業と協業関係を構築することにより、特定の技術やビジネスモデルに執着することなく、長期にわたって開発活動に取り組んでいく」と述べている。

 また、「自ら進化し、自己増殖することによって、相乗効果をもたらし合う戦略的なグループを構築し、今後30年の間に、同じ展望を共有するグループ企業を5000社まで拡大したいと考えている」という。

 大言壮語と誇大妄想とは別物だ。ARMの買収が多少の気休めになったとしても、ソフトバンクは今後長年にわたって取り組んでいくことになるだろう。

 米国の市場調査会社であるTirias Researchで主席アナリストを務めるJim McGregor氏は、それほど心配していないようだ。同氏は、「ARMの買収によって、ARMのライセンシー(ライセンス供与先)に影響が及ぶことはないだろう。ソフトバンクは、半導体業界には属しておらず、構造的にも、ARMと同じように中立的なサードパーティー企業であるためだ」と説明する。

 またMcGregor氏は、「それどころか、ARMがモバイル機器や民生機器市場に影響を及ぼしたように、ソフトバンクの投資が、IoTやネットワーキング、通信などの市場に、イノベーションと価格低下をもたらすと期待される」と述べる。

 さらに同氏は、「ライセンシーからは、ライセンス料の値上がりを懸念する声が上がっているが、その心配はないだろう。ソフトバンクが、成功しているビジネスモデルに干渉するとは考えられないし、半導体業界にとって価格の低下は、経済的基盤となるためだ」と付け加えた。

■オープン性の低下と人材の流出

 一方、The Linley GroupのDemler氏は、かなり懸念しているようだ。

 同氏は、ソフトバンクがARMにもたらすであろう影響について問われると、「残念ながら、まずはARMのオープン性が低下するのではないかとみている」と述べている。Demler氏は、「株式公開企業であることによって、ARMはアナリストや半導体エコシステムと密に連携が取れてきた」と説明する。「(オープン性が低下する可能性について)自分の予想が間違っていると思いたいが、これについてはいずれ分かるだろう」(同氏)

 Demler氏は、「孫氏はARMの英国での雇用を今後5年間で2倍にすると言っている。だが、雇用者数が少ないことは、ARMの成長を妨げる要因や、顧客へのサポートに影響する要因になってきたとは思えない。心配なのは、ARMの主要な設計者たちが、今回の買収によって去ってしまわないかということだ。これはどの買収案件でも起こり得る懸念である」と続けた。

【翻訳:田中留美、編集:EE Times Japan】

最終更新:7月29日(金)11時36分

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