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《白球の詩》強い絆 仲間に感謝 健大高崎・宮本隆寛内野手

上毛新聞 7月29日(金)6時0分配信

◎「機動破壊」の中心

 諦めてたまるか。ベンチに入れなかった3年生を甲子園に連れて行くと誓った。「負けねーぞここで。延長に持ち込むぞ」。1点を追う九回裏、三塁側ベンチの前でかれた声を張り上げた。

 1死一塁で打席が回ってきた。タイムを取って伝令を走らせた青柳博文監督の指示は「焦らず、冷静に打て」。はやる気持ちを抑えボールを見極めて四球を選び、土壇場の同点打につなげた。

 昨春から個の能力が高い3年生に交じって試合に出た。夏は2年生で唯一ベンチ入りし、6番右翼で先発。甲子園では初戦の寒川(香川)戦で技ありのスライディングで観衆の度肝を抜き、創成館(長崎)戦で3打数3安打1打点と躍動した。

 新チームになり、引っ張らなければいけないと感じていた。だが「チーム内の力の差が大きく、何をどうすればいいのか分からなかった」。甲子園から約3週間で迎えた秋季大会は準決勝で樹徳に五回コールド負け。無安打に終わり、4季連続甲子園の道を断たれた。

 悪夢を振り払うように冬場はスイング力の強化と肉体改造に没頭した。重さ約1キロの金属バットで140キロ台の直球を打ち、ウエートトレーニングで下半身を鍛えた。生方啓介ヘッドコーチの下「身長マイナス95」の目標体重をクリアした。

 迎えた春の県大会で準優勝し、関東大会では横浜(神奈川)に2―3と善戦した。公式記録では無失策だったが、「イレギュラーバウンドに対応できなかったり、送りバントできなかったり、個人としても一度も出塁できなかった」。敗因は自分たち3年生にあった。

 関東大会後の5月末、3年生だけグラウンドに入ることを禁止された。いつもの場所で練習する1、2年生をよそに、3年生に許されたのは草むしりや部室の掃除のみ。自分たちがうまくなることだけしか考えていなかったことに気が付いた。

 練習に前向きに取り組むようになり、チームの雰囲気はがらりと変わった。安里樹羅(2年)は「先輩たちとよく話すようになった。一緒に甲子園に行きたいと本気で思った」。たった数日の出入り禁止が、劇的にチームを成長させた。

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最終更新:7月29日(金)6時0分

上毛新聞

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