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田中逮捕から40年、検察の凋落と角栄ブームと

ニュースソクラ 7/29(金) 16:00配信

角栄逮捕が特捜検察の絶頂だった

 夏休みをとり、朝から江ノ島の近くでヨット遊びをしていた。昼時に陸に揚がり、腰を抜かすほど驚いた。軽食屋のテレビが、東京地検に入る田中角栄前首相を映していた。40年前の7月27日のことだ。

 丸紅や全日空の幹部の逮捕に続き、次は「政府高官」と予想してはいたが、一気に頂点を衝くとは。

 筆者は大蔵省(財務省)を担当していた。田中逮捕後、盟友の大平正芳蔵相は、オフレコの場で「われわれは政治資金をリシーヴして使うのだが、田中さんは自分でメイクマネーするからなあ」と慨嘆した。財界主流と太いパイプを持つ派閥「宏池会」領袖の大平は、角栄の“金脈”の危うさを危惧していたのだ。

 舞台は法廷に移る。筆者は一審の途中から判決まで司法担当として「闇将軍」「キングメーカー」と呼ばれた角栄と、特捜検察との熾烈な闘いの現場にいた。

 田中弁護団は、元最高裁判事や元検察幹部らも含む大所帯。元警察庁長官で旧田中派幹部の後藤田正晴らも弁護側証人になった。判決が近づき、親田中の元警視総監、秦野章が法務大臣に起用された。政治力を総動員して無罪を勝ち取ろうとしたのだろう。

 贈賄側被告の丸紅の檜山廣元会長と伊藤宏元専務が、捜査段階の自白を覆した。大久保利通の孫に当たる大久保利春元専務だけは、供述を変えなかった。

 「首相の犯罪」を立件した検察も背水の陣。もし「無罪」なら検察組織のダメージははかりしれない。異例のことだが、公判も東京地検特捜部が担当し、主任検事だった吉永祐介、ロッキード社幹部への嘱託尋問を仕切った掘田力らエースを法廷に投入した。

 角栄の金庫番、榎本敏夫被告の離婚した前妻まで検察側証人に立てた。“禁じ手”に近いが、榎本が彼女に金銭授受を認めた、という証言はメディアをわかせた。世論の援護を強く意識したのだろう。

 一審は検察の主張通り元首相の5億円の受託収賄を認め、懲役4年の実刑判決。控訴審も一審を支持し、主役は上告中に死去した。検察の完勝といえよう。

 東京地検特捜部を「最強の捜査機関」と持ち上げるメディアもあった。確かに米上院でロッキード社の不正工作が暴かれた時点で、対象国十数カ国の名が出たが、政界トップを断罪したのは日本だけだった。

 だが、田中逮捕が特捜検察の絶頂だったと思う。名声と実力のギャップが徐々に広がり、近年の特捜の凋落は目を覆いたくなる。大阪地検による厚労省・材木厚子局長の、えん罪事件は論外にしても。

 東電・福島第1原発の事故では、早々にあきらめた特捜に代わり、検察審査会が東電3幹部を強制起訴した。甘利明前経済再生担当相がからむ口利き疑惑で「あっせん利得罪」の適用を見送り、特捜OBの弁護士らからも批判が出た。東芝の不正会計問題では、刑事訴追を望む証券監視委と、消極的な検察の軋轢が報じられる。「見逃しの三振」ばかりなのだ。

 方や、書店には「角栄本」が並ぶブーム。あれから40年、耳を澄ませば、「角さん」の凱歌が聞こえる。

■土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版)

最終更新:7/29(金) 16:00

ニュースソクラ

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。