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これぞ武士! 知将・大谷吉継と家臣との感動秘話

ITmedia ビジネスオンライン 7月30日(土)7時4分配信

編集部F: 先週(7月24日)の放送で、片岡愛之助さんが演じる大谷吉継がしきりに腕などを気にしていました。いよいよ来たかと思いましたね。

【吉継の陣跡から松尾山を望む】

小日向えり: 『真田丸』で最初に吉継が登場したときに驚いたのは、顔などに布を巻いていなかったことです。吉継と言えば皮膚の病を患っていて、それを隠すために必ずと言っていいほどそのように描かれているからです。それなのに素顔で元気な姿でした。

編集部F: けれども、今後はどうなるか分かりませんね。

小日向: 真田丸の時代考証を担当する平山優先生によると、信用ある資料にはどこにも吉継が病気だと書かれていないそうです。そのようにお話されていました。

編集部F: 真田丸でもそれを踏襲したのかもしれませんね。吉継ってどのような人物だったのでしょうか?

小日向: やはり知将として有名ですよね。豊臣秀吉が100万の兵を指揮させてみたいと言ったほどです。あとは、石田三成と深い友情があり、三成が唯一目を合せて話す相手かもしれません(笑)。三成の人望のなさを吉継が幾度となくフォローしていた印象があります。

編集部F: 知将を表すエピソードはありますか?

小日向: 歴史上の出来事というのではないのですが、以前、関ヶ原の戦いの跡地に訪れたとき、吉継の陣地に行くと、明らかに小早川秀秋の攻撃を意識した布陣になっていました。つまり、秀秋がいた松尾山の方を向いて備えているのです。きっと吉継は秀秋の裏切りにいち早く感づいていたのだなと思いました。

編集部F: なるほど。それでも食い止められなかったのは無念でしょうね。

小日向: 知将とは関係ありませんが、吉継にまつわるエピソードで好きなのは、側近の湯浅五助との美談です。

 関ヶ原の戦いで吉継軍が総崩れになった後、吉継は切腹するのですが、その介錯人が五助でした。醜い顔がコンプレックスだった吉継は、首を斬られた後も顔を見られたくないので、五助に対して、首を埋めた場所を誰にも教えないでくれと依頼しました。

 その後、五助が首を埋めているときに、藤堂高虎の甥である藤堂高刑(たかのり)と出くわしてしまったのです。吉継の首を渡せという高刑に対し、五助は断固としてノーと言います。「その代わりに自分の首を持って行け」と主君の身代わりになりました。そこは高刑も武将、敵ながらあっぱれとして、吉継の首が埋まった場所を決して他言せず、五助の首だけを徳川家康の元へ持って行きました。

 実に男気溢れる、グッとくる話で、戦国時代のエピソードの中で最も好きです。吉継のお墓は関ヶ原での陣地の近くにあるのですが、すぐ隣に五助のお墓もあります。お参りすると涙がこぼれます。

編集部F: 戦国武将らしい、泣かせる美談ですね。

小日向: あと、吉継は関ヶ原の戦いの前に「吉隆」に改名したと言われています。真田信繁は大坂の陣の前に「幸村」になったという説がありますが、義理の父である吉継に倣ったのかなのかなと思いました。

編集部F: 戦いの前に改名するのは縁起が良いのですか?

小日向: 気持ちを新たにして気合いを入れるような感じなのでは。当時の武将はコロコロと改名しているのですよ。占いの運勢だったり、字の画数だったり、いろいろな理由があるようですが。

 最後にもう1つ。吉継の菩提寺とされている永賞寺(福井県敦賀市)に訪れたとき、過去帳を見せてもらいました。その1冊目の最初に吉継の戒名が書かれていて、毎朝お経で唱えているそうです。

 普通、戦争で負けた側の記録などはほとんど残せないですし、実際、吉継のゆかりのものは敦賀にほとんどないのですが、お経の最初に入れることで脈々と後世に受け継がれているというのは素敵だなと思いました。

編集部F: 負けた西軍側の武将で、そういうことは珍しいですか?

小日向: 戒名をお経の最初に入れるのはあまり聞かないですね。モノを残せない代わりに、毎朝思い出すようにそうしているのかな。

最終更新:7月30日(土)7時4分

ITmedia ビジネスオンライン