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「瀬戸内寂聴を文壇からしめ出した」問題作が映画に! “不倫する女”はなぜ怖い?

dmenu映画 7月30日(土)21時0分配信

有名人の不倫報道が世間を賑わせ、日本列島が不倫という言葉に過剰反応しまくっている2016年。当事者たちが大バッシングを受ける一方、不倫を描いたテレビドラマが人気を博すという矛盾した現象も起きています。そこにまた1つ、不倫の愛を描いた映画『花芯』が公開されます。 原作は、女の業や性愛をモチーフにした艶やかな作品を数多く執筆してきた瀬戸内寂聴さんの同名小説です。現在は尼僧となった寂聴さんが、瀬戸内晴美として執筆していた約60年も前の昭和32年に発表した作品で、夫を捨てて恋を選ぶ女の性愛と生き様を描き、当時センセーションを巻き起こしました。

不倫が今よりずっと不道徳だった時代― 本能のままに生きることを選んだふてぶてしさ

『花芯』のヒロイン園子は、終戦の翌年、親が決めた許婚・雨宮と結婚します。雨宮には愛情を感じられないまま夫婦生活を続け、やがて一人息子も誕生。しかし、夫の転勤で京都に移り住んだ彼女は、下宿先である未亡人の家で夫の上司・越智と出会い、そこで生まれて初めての恋を知ってしまいます。

越智との恋に走ることは、世間から後ろ指をさされるのはもちろん、家族・親戚からも総スカンをくらうような「あってはならない」行為でした。その背徳感は時代背景を考えても、現在の比ではありません。でも、世間で話題の「ゲス不倫」の多くが、なぜか女性が仕事を干されたり堪え忍んだりと貧乏くじを引かされているのに比べ、園子には、本能のままに男を翻弄し続け、自分の生き方を選び取っていくふてぶてしいまでの強さがあるのです。

男をめぐる争いを予感させる ―いるだけで同性から反感を持たれる女

かつて夫と幼い娘を捨てて年下男性との恋に走った経験を持つ寂聴さん。『花芯』はまったくのフィクションだそうですが、恋だけを追い求めて男と体を重ねていく園子と作者本人が同一視されてしまったのか、寂聴さんは本作によってエロ作家のレッテルを貼られ、さらに性愛描写に「子宮」という言葉を幾度か使っていたことから「子宮作家」などと批判を浴び、以後5年間、文壇から締め出されてしまいます。もしかしたら、園子という女の強く奔放な生き様を女である作者が描いたことが、男性批評家たちに恐れを抱かせたのかもしれません。

それってちょっと、昨今の「不倫バッシング」の様相に似ていなくもないでしょうか? SNSなどで不倫した有名人を執拗にバッシングする女たちからは、恋に生きられる女に向けた恐れと羨望が感じられます。

そもそも、盛んに恋をするにはそれなりに色気や魅力が必要ですから、誰もができるわけではありません。自由奔放に不倫する女なんて、ある意味「選ばれた生き物」です。交配相手をめぐって争う同性からは当然警戒されるわけで、『花芯』の園子も、いるだけで同性から反感を持たれる女として描かれています。

「人間とは本来孤独なものである」と寂聴さんは説いています。孤独の穴を埋めようと恋をするのに、恋を求めるほど社会の中で孤独を深めていく園子。それでも止められない静かな激しさを、映画『花芯』では主演の村川絵梨が体当たりで表現しています。

たとえ罵られても「だから何?」と笑みを返してきそうな園子の不敵さが勝者の微笑みのようにも見えて、なんだか妙に清々しい作品です。

文=新田理恵

最終更新:7月30日(土)21時0分

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