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「お金」を使うと社会はどう変わるか 府立丹後郷土資料館で企画展

両丹日日新聞 7月31日(日)8時0分配信

 古代から続いた物々交換の社会が、貨幣の登場で急激に変化してきた様子を、「出土品」の様々な銭を中心に紹介する珍しい企画展「お・か・ね-貨幣の歴史と虚実」が、京都府立丹後郷土資料館(宮津市国分)で開かれている。福知山城と猪崎で発掘された資料が、それぞれ重要なカギとして展示されている。9月4日まで。

 日本最古のお金は、西暦708年に発行された「和同開珎」だとされていたが、それより古い「富本銭」、さらに古い「無文銀銭」が683年に発行されていたことが近年になって分かった。

 企画展では、この無文銀銭、富本銭(複製)をはじめ、和同開珎以降平安時代にかけて発行された12種類の銅銭「皇朝十二銭」の、貴重な現物をそろえた。

 現代の貨幣価値に換算するのは難しく、資料館の森島康雄資料課長は「和同開珎1枚で白米だと約1・8キロ。いまだと500円から600円ぐらいにしかなりませんが、当時の成人男子の一日の給料も和同開珎1枚。米に換算した場合の10倍以上の価値になります」と、比較の難しさを説明する。

 皇朝十二銭は、全12枚が並べて展示してあることで、発行年ごとの大きさ、質の比較ができる。和同開珎から796年発行の隆平永寶までは直径が2・4センチ程度あったが、後年はだんだん小さくなり、材質も銅の成分が少なくなり、やがてほとんどが鉛になって信用を無くす。このため社会で貨幣は使われず、米や絹が取引の基準になっていった。

 再び貨幣が使われ出したのは1270年ごろからのこと。中国大陸の元王朝が紙幣を発行して銅銭の使用を禁止したため、大量の銅銭が余ってしまい、東南アジアに出回るようになった。日本でも急激に普及し、米で治められていた税が銭納に変わっていった。こうなると、米よりも土地・地域に応じた換金性の高い作物が生産されるようになり「特産品」が生まれていった。

 社会で大量の銭が使われるようになると、貸し借りをする銀行のような業者が現れ、蓄えた銭を火災や盗難から守るため、地中に埋めるようになる。そんな様子が、福知山市猪崎の出土品からうかがえる。

 1892年(明治25年)に、土取場を地元の3人が掘っていると、大きなかめが出て来て、中から銅銭が見つかった。現存する銅銭は1万6773枚だが、森島課長は「発見者と地主で半分ずつに分けたと記録されていています。残っているのは地主分で、この倍の3万枚ほどが埋めてあったのでは」と見ている。

 出土枚数は府内でもトップクラス。室町時代のもので、早くから由良川水運が盛んだったことがうかがえる。
 
 猪崎の出土例が、保管した「備蓄銭」だったのに対して、福知山城からは、祭祀に使われたらしい埋納銭が見つかっている。

 1986年(昭和61年)、天守閣再建に伴う送電線敷設工事の際、本丸御殿があった位置で偶然発見された。

 壷の中に銅銭936枚と銅鏡、小刀、竹筆があり、納め方からして、地鎮祭のような祈願目的のものだとされている。埋納時期は明智光秀の時代より古い時期。森島課長は「使ってある枚数が祭祀としては異例の多さ」だといい、光秀以前から戦略的に重要な場所だったことが分かる。

 企画展ではこのほか、戦国時代から江戸時代にかけての小判、丹後で発行された様々な藩札、明治以降の紙幣も展示している。

来月6日に文化財講座

 8月6日午後1時30分から館内で文化財講座として、森島課長が講演。藩札などを例に「悪貨が良貨を駆逐する」過程など、お金の使われ方や役割などを解説していく。

 丹後郷土資料館は月曜休館。大人200円、小中学生50円、65歳以上無料。時間は午前9時から午後4時30分まで。電話0772(27)0230。

両丹日日新聞社

最終更新:7月31日(日)8時0分

両丹日日新聞