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振り返れば見えてくる 孫正義の買収哲学とは?

ITmedia ビジネスオンライン 8月1日(月)7時10分配信

 ソフトバンクによる英ARMの買収は、世間をあっと驚かせた。同社の孫正義社長はこれまで何度も「非常識な」買収を試みてきたが、さすがにARMの買収に踏み切ると予想した人は、ほとんどいなかったに違いない。

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 ARMが超優良企業であることや、IoT時代において同社が持つポテンシャルが大きいことは誰もが認める事実である。だが通信という共通項が存在する以外、今のところ両社に目立ったシナジーがないのもまた事実である。キャリア事業を営むソフトバンクと、IoTのチップ設計を手掛けるARMとでは、今のところ直接、協業する場面は想像しにくい。だが孫氏は「ほとんどの人がピンとこない(はず)」と意に介す様子はない。

 ソフトバンクはこれまでも、多くの人が理解できないM&A(合併・買収)を繰り返しながら、巨大企業に成長してきた。孫氏がどのような意図を持ってARMを買収したのかを理解するためには、同社の過去の買収案件を知ることが早道だろう。

●上場して得た資金を元に、米国の展示会を買収

 ソフトバンクは、今でこそ巨大な通信会社に成長したが、創業時はソフトウェアの流通という非常に地味な業態からスタートしている。その後、PCブームに乗る形で出版事業を拡大し、1994年には上場を果たした。上場によって大規模な資金調達のメドが立ち、ここから一連の買収戦略がスタートすることになる。

 当初、同社は米国のコンピュータ展示会と出版社を立て続けに買収している。1994年に米Ziff Davisの展示会部門を200億円(当時のレートで)で買い取り、続いて、世界最大のコンピューター展示会「COMDEX」を800億円で手に入れた。翌年にはZiff Davisの出版部門を2100億円で買収している。

 買収した企業は、ソフトバンクの国内事業との直接的なシナジーはなかった。当時、COMDEXの買収については、ただの展示会に800億円もつぎ込むなど、狂気の沙汰だという評価が一般的だったのである。

 買収した米国事業について、その後どう展開していくのか、孫氏自身に明確なシナリオがあったとも思えない。実際、COMDEXやZiff Davisの買収によって獲得した展示会事業や出版事業に大きな進展はなく、一連の事業は1999年から2000年にかけて売却もしくはソフトバンクからの分離という形で、中核事業ではなくなっている。

 また1995年に累計1300億円を投じて買収したキングストン・テクノロジー(PC向けメモリーの製造・販売会社)は1999年に約540億円で創業者に売り戻してしまった。保有期間中の配当などを考慮に入れない場合、1000億円近くの損失を出した計算になる。

 しかし、COMDEXの買収は、のちにソフトバンクに途方もない果実をもたらすことになった。それはネット企業である米Yahoo!への出資である。

●Yahoo!への出資が成功したことで、現在の基本スキームが確立

 確かにCOMDEXやZiff Davisの買収は事業としては大きな果実にはならなかった。だが、当時のIT業界におけるCOMDEXの存在感は極めて大きかった。毎年ラスベガスで開かれる展示会にはマイクロソフトのビル・ゲイツ会長などIT業界のスターが集まり、そのスピーチには全ての業界関係者が耳を傾けていた。COMDEXは秋に開催されるのが恒例だったが、翌年のIT業界のトレンドがここで決まるといっても過言ではない状況だったのである。

 孫氏は、COMDEXなどの買収を通じて、IT業界におけるプレゼンスを手に入れたかったのだと考えられる。実際、彼はCOMDEXのオーナーとして、IT業界の中枢に入り込むことに成功した。これは日本人としては極めて異例のことである。COMDEXのオーナーであることと、米Yahoo!への出資は直接関係しなかったかもしれないが、COMDEXというIT業界へのパスポートがなければ、Yahoo!を発掘することは難しかっただろう。

 ソフトバンクはYahoo!の株式の約30%を保有する大株主となり、Yahoo!が上場したことで同社には巨額の含み益が転がり込んできた。Yahoo!の時価総額は一時10兆円を突破していたので、ソフトバンクには3兆円以上の財務的余力が生じることになった。またYahoo!とソフトバンクの合弁会社であるYahoo!の日本法人も上場に成功したことで、同社には、さらに大きな含み益がもたらされた。投資した企業の含み益をテコに大型買収を展開するというスキームはこの時代に確立したものである。

 Yahoo!に続いて打ち出の小槌となったのは、何といっても中国のECサイト「Alibaba」だろう。ソフトバンクは2000年、創業間もないAlibabaに約20億円の投資を行い、3割の株式を持つ筆頭株主となった。2014年にAlibabaは米国で上場し、ソフトバンクは8兆円の含み益を得ている。今回、ARM買収における事実上の担保となっているのは、このAlibabaの含み益である。

 孫氏は、Alibabaの創業者であるジャック・マー氏と会って5分で出資を決断したと述べている。創業間もない時期だったことや、話し方や目つきなど動物的なニオイが出資の決め手になったという発言などを併せて考えると、これまでと同様、詳細なビジネスプランを前提に投資したわけではないことが分かる。

●掘り出し物は即断即決

 しかし、一連の投資案件は結果的に巨額の含み益をもたらし、これが通信という現在の事業基盤を構築する原資となっている。

 2004年には約3400億円を投じて日本テレコムを、2006年には約1兆7500億円を投じてボーダフォンを買収し、一気に通信会社大手という立場を手に入れる。当時、両社の買収価格は高すぎると市場は否定的な見解一色だったが、今、両社の買収が失敗だったと言う関係者はほとんどいないだろう。

 ソフトバンクは両社の買収によって日本での足場を固めると、Alibabaの成長で転がり込んだ含み益をフル活用し、今度は米国の携帯電話会社Sprintの買収に乗り出した。

 Sprintは全米3位の携帯電話会社で当時3兆4000億円ほどの売上高があったが、1位のAT&Tは12兆円、2位のVerizonは11兆円の売上高があり、上位2社に大きく水をあけられていた。しかも、合併した旧Nextelとのインフラ融合がうまくいかず、6期連続で赤字を垂れ流している状況であった。

 買収しても再生が難しいことは誰の目にも明らかだったが、こうした状況にでもならない限り、米国の主要企業が売りに出ることはほとんどない。ソフトバンクにSprintの話が持ち込まれた詳しい経緯は不明だが、一般的に、掘り出し物の案件が投資銀行などから持ち込まれる際には、ゆっくり精査している時間はあまりないことが多い。

 企業が大型買収を発表すると、アナリストから必ずと言ってよいほど、買収を決断した理由や既存事業とのシナジーについて質問が飛んでくる。市場は理路整然としたシナリオを期待するものだが、経営の現場はもっと混沌としている。突如持ち込まれた案件が極めて魅力的なものだった場合、ぐずぐずしていると確実に他社に持っていかれてしまう。

 動物的勘を頼りに即断即決し、買収が決まってから、財務的な精査や具体的なシナリオを練るというケースは意外と多いのだ。Sprintを買った理由も「そこにSprintがあったから」というものだった可能性も十分に考えられる。

●「囲碁でいえば飛び石」

 ソフトバンクの一連の買収には、事前のシナリオは存在していないように見える。だが、孫氏は、魅力的な案件なら何でも飛びつく経営者なのかというと決してそうではない。注意深く観察すれば、全ての買収案件に共通した哲学というものが見えてくる。

 孫氏は常に、次の世代において中核的役割を果たす企業に手を付けておきたいと考えている。具体的なシナジーをどう作り出すのかは、次の時代が到来してから検討すればよい。というよりも、具体的なシナジーなど、そのときにならないと分からない可能性が高い。業界の主役となる企業さえ押さえておけば、それなりの答を得られるはずというのが、孫氏の基本観である。

 ARM買収の狙いについて孫氏は「囲碁でいえば飛び石」とも説明している。連続して石を打てば分断されるリスクは小さくなるが、大きな陣地は取れないという意味である。ARMが次世代のネット社会において中心的な役割を果たすことについては、多くの業界関係者が同意している。その点では、先の展開が全く見えなかった従来の投資と比較すると、不確実性はむしろ低い方なのかもしれない。

 今回、ソフトバンクはARMを買収するにあたり約40%のプレミア(金額ベースでは約1兆円)を上乗せした。確実性を買うための追加コストが1兆円というわけだが、孫氏の基準からすれば、それは特別高い価格ということにはならないのだろう。

 本当の意味でのシナジー効果は、実際にARMがIoT時代の中核企業に成長しなければ見えてこない。この買収の成否について答が出るのは、もうしばらく先ということになりそうだ。

(加谷珪一)

最終更新:8月1日(月)7時10分

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