ここから本文です

本紙だけが撮っていた千代の富士“最後”の勇姿

東スポWeb 8月2日(火)5時51分配信

 大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。現役時代は歴代3位の優勝31回など数々の記録を打ち立て、角界では初めて国民栄誉賞を受賞。昨年夏に「すい臓がん」の手術を受けるなど闘病生活を続けていたが、ついに帰らぬ人となった。本紙は先の大相撲名古屋場所中に愛知県体育館でウルフの姿を独占撮影。国民的ヒーローが公の場で見せた“最後の勇姿”となった。

 現役時代に圧倒的な強さを誇った昭和の大横綱も病魔には勝てず、静かにこの世を去った。九重親方の遺体を乗せた車は午後8時10分すぎに九重部屋へ到着。部屋付きの佐ノ山親方(40=元大関千代大海)や幕内千代の国(26)ら愛弟子たちが師匠の無言の帰宅を出迎えた。ストレッチャーの上で白い布をかぶせられた遺体は、部屋の正面玄関から中に運び込まれた。

 佐ノ山親方は報道陣を前に「急なことなのでびっくりしている。血のつながりはないですけど、ずっと父親だと思っている。(遺体の)手を握りながら『ありがとうございました』と言いました。だんだん顔がやせていく師匠を見ながら、何とか元気になってくれることだけを信じていた」。突然の別れに沈痛な面持ちを浮かべた。

 九重親方の「健康問題」が表面化したのは、昨年のことだった。5月場所後に東京・両国国技館で行われた還暦土俵入りで現役時代をほうふつとさせる引き締まった肉体を披露して周囲を驚かせた。だが、実際には体の内側は重い病にむしばまれていた。続く7月の名古屋場所は担当だった監察委員の職務を全休。翌9月場所で復帰した際には、すい臓がんの手術を受けて約1か月間入院していたことを自ら明かした。手術後の体重は以前より13キロも減っていた。

 九重親方は「もう健康体だから大丈夫」と話していたものの、すい臓がんはがんの中でも特に再発や転移が多いことでも知られている。その後も闘病生活は続き、最近はがんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らしていたという。

 そんななか、本紙はウルフの公の場での“最後の姿”をカメラに収めていた。写真は名古屋場所2日目の7月11日、九重親方が監察委員の仕事を終えて会場の愛知県体育館から出てきた時のものだ。水色のジャケットにグレーのズボン姿。口元の大きな黒いマスク越しからも、かなり顔がやせ細っている様子がうかがえる。

 夏場でもマスクを着用していたのは、感染症を予防するためなのか、それともやせこけてしまった顔を隠すためだったのか。ただ、その眼光は現役時代同様に鋭く、この時は誰の手も借りずに自力で迎えの車に乗り込んだが…。九重親方の体調が急変したのは、この直後のことだった。体調不良を訴えて7月14日に緊急帰京すると、同24日の千秋楽に開かれた部屋の打ち上げパーティーも欠席。再び名古屋に戻ってくることはなかった。

 今月には生まれ故郷の北海道・福島町で毎年恒例となっている部屋の合宿が予定されていた。九重親方は自ら関係者に準備の指示を出すなど、合宿への参加に強い意欲を見せていたという。だが、その願いもかなえられないまま帰らぬ人となってしまった。

☆九重貢(ここのえ・みつぐ)本名・秋元貢。1955年6月1日生まれ。北海道出身。70年秋場所初土俵で、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。両肩の脱臼を克服し、35歳の91年夏場所限りで引退するまでに史上3位の31度の優勝を果たした。通算1045勝は史上2位、幕内807勝は同3位。「ウルフ」の愛称で親しまれ、89年には国民栄誉賞も受賞した。92年4月に九重部屋を継承し、大関千代大海らを育てた。2008年に日本相撲協会理事に初当選。事業部長や審判部長を務めた。

最終更新:8月2日(火)5時51分

東スポWeb