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【乗りもの豆知識】首都圏の鉄道会社、こんなに多くなかった可能性も? 「営団」の歴史的背景を探る

乗りものニュース 8/2(火) 15:47配信

行政による一元管理組織が「営団」

 1941(昭和16)年に設立された「営団地下鉄」(現在の東京メトロ)。その成り立ちを振り返ると、首都圏の鉄道のあり方が、現在とは全く違ったものになっていた可能性があることがわかります。

 大東文化大学の今城光英副学長によると、経済の国家統制が進んだ戦時中には、食糧の配給を担う「食糧営団」、住宅供給を行う「住宅営団」が設立されるなど、行政が物資などを一元管理するために、「営団」と名前が付く組織を作っていました。

「帝都高速度交通営団」、すなわち営団地下鉄の設立には、1938(昭和13)年に施行された「陸上交通事業調整法」が関係しています。同法は「陸上交通の健全な発達」を目的に、鉄道会社や軌道会社、バス会社の統制(合併)を行うという内容でした。

 その実施計画のひとつが、1941(昭和16)年3月に東京市電気局が発行した「東京地方交通調整諸案集」で、その冒頭には、東京を中心に半径30kmと40kmの円が描かれた地図が登場。統制対象になる事業者として、「王子電氣」(現在の都電荒川線)や「京王」「京成」なども記載されています。

 さらに読み進めると、ベルリンやロンドン、パリで交通統制が行われた事例が紹介され、ロンドンでは「鉄道乱立競争の弊」がひどく、1933(昭和8)年には統制が実現した、との記述があります。

 今城副学長によると、こうした海外の事例を参考に、東京でも営団を統合先とした合併が企図されましたが、各社の反発から実現できず、浅草~新橋間の地下鉄(現在の東京メトロ銀座線)を運営する東京地下鉄道と、新橋~渋谷間(同)を運営する東京高速鉄道だけを、営団に統合するにとどまったのだそうです。

 ただ一方で、戦時下はさまざまな交通機関の統合が行われたのもまた事実です。首都圏では小田急、京急、京王の各社が東急に統合され“大東急”と呼ばれました。大東急は戦後、それぞれの会社に再分割されましたが、元々小田急系の傘下だった井の頭線は、京王に統合され現在に至ります。

 もしも、あらゆる鉄道が営団に統合されていたら、首都圏の鉄道は現在のように、各社が林立するシステムではなかったかもしれませんね。

青山陽市郎(乗りものニュース編集部)

最終更新:8/2(火) 16:07

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