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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (10) ミャンマーの多様なムスリム 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 8月3日(水)10時24分配信

Q. 「786」といい、ウィラトゥ僧正のことといい、ミャンマー国内での仏教徒とムスリムの関係についてはまり知られていないのですね。
A. そうですね。「ロヒンギャ問題」を報じる国内外のメディアが、ミャンマー国内のムスリムがスンナ派、シーア派のどちらが多数であるのかということさえ知らないこともあります(ミャンマーでは、スンニ派が多数派)。

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それにミャンマー国内では、イスラーム社会で顕著なスンナ派とシーア派の深刻な対立は見られません。ミャンマーにおけるムスリムの実態がどのようなものなのか、国内外には正確に伝わっているとは言い難いです。

Q. ムスリム人口は、ミャンマーの総人口 5100万人 のうち人口比で4~5%と発表されていますが、実際はどうですか?

A. 私の個人的な体験と印象では、ムスリムの人口は5%~10%ぐらいなるのではないでしょうか。ムスリムの人びとは経済的な結びつきが強く、軍政下で経済的に疲弊した生活を送っていたムスリム以外の人びとから(多くは仏教徒から)やっかみの対象になったという感じも受けました。だからこそ、ムスリムの存在を小さくしておきたかったのかも知れません。

私の経験から人びとの立ち位置を、信仰をベースに考えてみると、次のようになると思います。

ミャンマー族仏教徒 > 少数派民族仏教徒 >ミャンマー族キリスト教徒 >中国系・インド系仏教徒、少数派民族キリスト教徒 > 中国系・インド系キリスト教徒 >ミャンマー・ムスリム > インド・パキスタン系ムスリム、パンディー・ムスリム、カマンムスリム、パシュー・ムスリム > ロヒンギャ・ムスリム

国籍のない(剥奪された)ロヒンギャ・ムスリムがもっとも虐げられており、底辺に追いやられています。

Q. 人口比からすると絶対的に仏教徒の方が多いのに、ムスリムに対してそれほど敏感になる必要がないと思うのですが、何か理由があるのですか?
A. 仏教徒が多すぎることが、かえってムスリムに対する悪い噂(強盗・レイプなど)を拡大させることになり、誤った情報が広がってしまいました。単なる噂話が、恐怖政治を敷いていたミャンマー軍事政権下で人びとの疑心暗鬼を背景に、信憑性を持ってしまいました。これも長期の軍政の影響がもたらしたものです。

Q. その長期の軍政下で、ムスリムは具体的にどのような立場に置かれていたのですか。
A. 1930年代の英国の植民地下では、経済の中心地となっていた旧首都ヤンゴンは、人口の約半分がインド系の人で占められ、ミャンマー人は3割ほどになってしまいました。ミャンマー人の反感は、高利貸しとして存在していたそのインド系の人に向けられていました。そこからミャンマー人の肌の黒い人に対する反感はやがて、インド系(ムスリムたち)に向けての差別意識を溜めていくことになりました。

ミャンマーは1948年に英国から独立し、62年にネウィン将軍が起こしたクーデターで軍政が始まります。そのネウィン将軍は国家建設を第一目標としていたため、経済の中枢を握っていた中国人やインド人を国外に追放します。ここは自分たちの国だから出て行け、と。そこでナショナリズムを煽るようなことを国家の政策として推し進めたのです。

Q. ナショナリズムを煽る政策は他にあったのですか?
A. 英国の植民地支配、それに短期間でしたが日本の軍国主義支配の影響は大きく、独立後のクーデター政権(1962年)は海外の影響が国内に入ってくるのを防ぐため、極端に排外的な態度を取りました。一種の鎖国政策で、外国人の滞在も当初は24時間しか認められませんでした(その後72時間、1週間と延長されていった)

Q. 植民地支配の影響というのはそれほどまで強かったということですか。
A. この「植民地支配の被害者」という側面は、アジア・太平洋戦争時の「戦争の被害」の面が強調される日本ではあまり理解されない部分だと思います。海外からの経済・政治・文化の影響を排除しようとしたネウィン将軍は、植民地時代にミャンマー国内に入った海外の影響を排除し始めたのです。(つづく)



宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

最終更新:8月11日(木)23時39分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。