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堅実なサヤ取りでコメ相場大成し、株でついには世界進出 山崎種二(上)

THE PAGE 8/6(土) 11:00配信 (有料記事)

 山種(やまたね)こと、山崎種二は言わずと知れた実業家で、山種証券(現:SMBCフレンド証券)、山種物産(のちのアサヒトラスト)、ヤマタネの創業者です。同時に相場師としても有名で、教育家でもありました。31歳で山種商店を開業し、コメ先物相場から始まり、株式相場へとくら替えしていきます。

 山種の堂々した相場戦法は、新聞や雑誌などでも語られることが多くありました。「百戦百勝」と言われる今や伝説となった山種の相場師人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


大物相場師の買い占めに売り向かう

 山種こと山崎種二の伝記は数多いが、中でも一番広く読まれているのは城山三郎の『百戦百勝-働き一両・考え五両』であろう。山種は相場で負けたことはめったにない。「百戦百勝」はあながちオーバーではない。勝って勝って勝ちまくるが、最初の勝利は大正10年ころのことだ。その当時コメ相場の世界で「横堀将軍」と呼ぶ大物相場があばれ回っていた。この石井の買い占めに売り向かったのが山種だった。

 石井は先物市場で買い進み、売り方が渡してくるコメを片っ端から引き取って実に55万石(1石=150キロ)という現物を抱え込む。そのころのカネで2300万円(現在だとざっと500億円)を投じてコメを買い占めた。これだけ現物を引き取ると先物市場でカラ売りしている連中が悲鳴を上げ、踏み上げてくる(損して買い戻してくる)と石井はにらんでいた。だが、石井の思惑は外れてしまう。山種は日本経済新聞社編『相場今昔物語』や自伝『そろばん』の中で述べている。

 「石井の買い思惑は先物市場では成功しましたが、米俵の重いものを背負い込むと品痛みはあるし、倉庫代や金利がかかるというわけで、あとがいけません。石井は買い占めたコメを自分ではどう処分することもできない。結局、その売りさばきの役目は、われわれ実米筋(米穀問屋)のところに回ってきた。自分たちが売ったコメをもう一度売ることになった。往復の商売である。こんなうまい話といったらない。店は創業以来の景気、勤めてから最高の賞与をもらった」

 このころ山種は伯父山崎繁次郎の営む山繁商店の番頭になっていたが、この勝利からほどなく、大正13年、独立、山崎種二商店を開業する。31歳のことだ。以来、山種の快進撃が続く。本文:4,787文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:8/19(金) 17:57

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