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高校野球をめぐるそれぞれの情熱

東スポWeb 8月4日(木)10時3分配信

【越智正典「ネット裏」】4日は高校野球第98回大会の組み合わせ抽選会である。…秋に東京五輪が開会する1964年の夏、北北海道大会で勝ち、甲子園にやって来た旭川南の捕手、込山久夫は夏が来ると思い出している。

「旭川を函館本線で発ちました。ガタン、ゴトン。鉄路の響きがまだ耳に残っています。函館から青函連絡船で青森に着くと、監督の小早川恒徳先生が『きょうの旅はここまで』。みんなで駅前旅館に泊まりました。ああ“内地”に来たんだあー。甲子園に着く前に、それはうれしかったですよ」。北海道では当時まだ本州を内地と呼ぶ人が少なくなかった。込山はのちに旭川実業の監督になり、冬は家々の2階の窓まで積る雪と戦い、選手を育て、北海道の監督として“内地”の甲子園で最多の5勝を挙げる。

 プロ野球のスカウトも甲子園入りする。54年東映入団。往時の三塁打王、このとき西武のスカウト毒島章一は、梅田→甲子園を阪神電車で通っていたが、始発で席があいていても決して座らなかった。隅のほうに立っていた。「あの席は高校野球を見に行くお客さんの席です」

 巨人の先乗りスコアラーでV9を支えた小松敏宏は知ってのとおり57年のセンバツ決勝で早実の王貞治と投げ合った、高知商業の左腕投手だが、スコアラーなどの体験が重視されて2大会、スカウトの助っ人を務めたことがある。小松も決して座らなかった。

 甲子園球場一番乗りは毎朝、南海の石川正二。開門1時間前にはもう入口に並んでいた。石川は都市対抗の名門、門司鉄道局の監督。唐津中学(高)から入って来た木塚忠助を名ショートに育てた。南海の名将、鶴岡一人が石川に惚れ、石川も鶴岡の信頼に応えて来た。人呼んで「南海の九州探題」。現ソフトバンクの編成育成部長兼スカウト室長小川一夫は石川の愛弟子で、小川が石川に学んだのは情熱である。小川は折々に石川の娘さんを訪ねている。6月、私はソフトバンク二軍を見たが、小川の、多彩で圧倒的な迫力のチーム編成に驚嘆した。

 現役後、評論家であった星野仙一は86年6月にはもう来季の中日監督に内定していた。8月、左投手を探しに第68回大会を見に行った。甲子園球場では明大先輩のはからいで別室で。享栄高校の左腕近藤真一(現真市、中日コーチ)をドラ1でと決めた。星野は87年8月9日、この新人をナゴヤ球場での巨人戦にぶつけた。近藤はノーヒットノーラン。翌年星野は優勝する。

 西武の管理部長、根本陸夫(2001年殿堂入り)は、大会が始まると、背広にネクタイ、ノックスの夏帽子をちょいとキザにナナメにかぶり、両手にプリンスウイスキーを下げて場外、大阪朝日放送の中継本部のテントを訪ね「ご苦労さんです。高校野球がさかんになるとプロ野球は大助かりです」。ニクイ男だった。 

=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:8月4日(木)10時23分

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