ここから本文です

<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (11) 軍政期に複雑化したロヒンギャ問題 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 8月4日(木)11時2分配信

Q. 植民地時代に海外からミャンマー国内に入った影響の排除とは?
A. 経済を支配していた中国人とインド人など、外国人の追放政策がその一つです。いわゆる新しい「国籍法」を制定して、国民を3つに分ける法律を作ったのです。「国民」「準国民」「帰化国民」という区別を作ったのです。

【関連写真を見る】 選挙権剥奪されたロヒンギャの人々(写真9枚)

Q. それらの3つの違いは具体的にはどういったものですか?
A. 「国民」とは、1823年の英国との戦争以前からミャンマーに住んでいた人(ビルマと英国は3度戦争)、「準国民」とは、英国から独立後の1948年の国籍法(2年間だけ施行された法律)で国籍を取得した人、「帰化国民」とは、独立後、外国人からビルマ人に帰化した人です。

Q. ロヒンギャたちは、そのどこに属するのですか?
A. ロヒンギャ・ムスリムたちはこの3つのどこにも属しません。

Q. 実際にロヒンギャたちはミャンマーにいるじゃないですか。
A. 軍政下で、ロヒンギャたちは隣国バングラデシュからの不法移民として見なされてきました。それなので、国民として認めてられていません。ミャンマー政府は軍政期から一貫して、ロヒンギャ・ムスリムは国民ではないから保護をする義務はない、出来るだけ早くバングラデシュに帰って欲しい(帰したい)という態度をとり続けています。

Q. ミャンマーの歴史や民族の話が入ってきて、ロヒンギャ・ムスリムの話がよく分からなくなってきました。
A. ミャンマーという国家が形成される過程で、「ロヒンギャ問題」が生まれたのです。その国家形成の過程は、半世紀の軍事政権という時代を挟んでしまったため、民政移管後にロヒンギャ問題に取り組もうと思っても、ある意味長期間の空白が生まれてしまったのです。

その結果、どの国家にも属さない、最も虐げられてきたロヒンギャという人びとの集団をどうやって保護するのかという問題が、ミャンマーの国内外で様々な問題を含みながら表面化してきたのです。その問題は、大きく2つの立場が絡み合っています。

(A)ミャンマー政府の立場:ベンガリ(ベンガル人)たちは英国の植民地時期にバングラデシュからミャンマーに入ってきた移民で、その後バングラデシュに戻らず、そのまま居着いた不法移民である。彼ら彼女たちはミャンマー国民ではないから保護する義務はない(政府は「ロヒンギャ」という呼称を認めず「ベンガル」を使う)

(B)ロヒンギャの立場:自分たちは歴史的にそこ(ラカイン州北部)に暮らしてきていた土着(先住)民族なのだから、それを認めないビルマ政府はおかしい。

 この(A)と(B)が争点として対立しています。

Q. では、(B)のロヒンギャたちの主張はどの程度正しいのですか?
A. どちらが正しい、正しくない、という質問の前に、考えておかなければならいことがあります。歴史や文化、民族などが複雑に絡んだ問題に簡単に答えを出そうとするから、かえって「ロヒンギャ問題」が複雑になってきたのです。

軍政時期のミャンマーの状況は、強大で抑圧的な軍部が人びとを支配してきました。多くの人が民族・宗教の区別なく、「平等に抑圧」されました。そういう状況下で、抑圧する巨大な軍部の力に反発・抵抗するよりも(それは命がけですから)、自分たちよりも得をしているように見える目の前の人に対して、嫉みの目が向けられるという人間社会の性(さが)が醸成されました。そこに感情的な歪みが生まれてきたのです。

私が見聞きした話の一つに、ロヒンギャ同士の対立の現実もありました。
「ロヒンギャを巡るさまざまな問題によって引き起こされる不平不満は、本来の難民の流出の原因であるビルマ軍政にではなく、目の前の人にだけ向けられている。」
(『週刊金曜日』2010年、790号)
(つづく)



宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

最終更新:8月11日(木)23時38分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。