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「電車には乗りません」と語った小池都知事は満員電車をゼロにできるか

ITmedia ビジネスオンライン 8月5日(金)8時11分配信

●小池議員を怒らせた「一言」

 東京都知事に就任した小池百合子氏に、一度だけお目にかかったことがある。

【電車に乗る小池氏と石破氏】

 2014年12月、品川~鎌倉間を583系電車で往復する「鉄道コン」列車を同乗取材したときだ。小池氏は「婚活・街コン推進議員連盟」の会長だった。この日は鉄道好きで地方創生担当大臣の石破茂氏とともに乗車されていた。小池氏は終始にこやかに行動され、参加者に婚姻届用紙を配布した。その証人欄に自ら署名していた。こうした配慮ができ、茶目っ気のある人だ。

 しかし、その小池氏を、私は怒らせてしまった。穏やかな共同インタビュー取材の後、小池氏が控え車両から参加者の車両へ移動する際に、私から声を掛けたときだ。

 「小池さんは普段、電車でお出掛けされるんですか?」

 この言葉が小池氏にとって癇(かん)に障ったようで、小池氏は私をキッと睨み、一瞬の沈黙の後に言い放った。

 「乗りませんッ!」

 この一言で私は狼狽した。何か失礼な質問だったか。調子に乗って、気安く声を掛けたと受け取られたか。いずれにしても、穏やかに答えを引き出す場面で、私は相手を怒らせた。これは私の失敗だ。同時に、小池氏に対する第一印象が固まった。確固たる考えを持ち、仕事のできる女性。しかし、一度怒らせたら取り返しが付かない。自分の上司になってほしくないタイプだ。褒められて伸びるタイプの私としては(笑)。

 そんな私に、後ほど小池氏の秘書が名刺をくれた。追加質問があれば遠慮なく、という言葉を添えて。物腰が柔らかく良い印象だった。なるほど、こういう人に支えられているのか。良いスタッフがそばにいる。これも政治家の技量の1つだろう。政治記者ではない私にとって、今のところこれが唯一の政界取材体験だった。

 今思うと「乗りませんッ!」の意味は何だろう。悪意のあるメディアなら「庶民の乗り物に同乗するつもりはない」と受け止めるだろうし、善意として受け止めるなら「国会議員であり、警備上の都合もあって乗れない、それを明言しないといけない立場だ」という意味かもしれない。あるいは「乗りたいけれど、忙しくて時間がない。辛い」という悲痛な叫びだろうか。

 しかし、ここに事実が1つある。「小池百合子氏は電車に乗らない」のだ。

●満員電車をゼロにする?

 小池氏は都知事選運動で「東京の満員電車をゼロにする。例えば、2階建て車両の導入とか」と語った。私はそれをテレビのニュースで一度だけ見たけれど、インターネットの情報によると、ほかの番組でも何回か語っていたようだ。小池氏の都知事選に向けた公式サイトにも、「満員電車をゼロへ。時差出勤、2階建通勤電車の導入促進」と明記されている。

 これを見て、ネットで鉄道ファンの失笑もあった。「東京の通勤事情に2階建てはそぐわない」。215系電車を引き合いに出し、「通勤電車に2階建ては無理」などだ。確かにすべての通勤電車を215系のような2階建てにはできない。しかし、小池氏の言う「2階建て」はこんな物ではない。電車だけではなく、ホームも2階建てにするアイデアだ。いわば、米国の貨物列車で実施しているコンテナの2段重ね「ダブルスタック」である。

 それを知らずに、215系の再来を予測して失笑するなんて小池氏に失礼だ。しかし、その一方で、私が鼻白んだことも事実である。なぜなら小池氏は「電車に乗らない人」なのだ。そんな人物が「満員電車をゼロにする」なんて言ったところで説得力がない。

●215系方式とダブルスタック、違いは?

 215系はJR東日本が1992年に導入した電車だ。普通車8両、グリーン車2両の総2階建て。現在は東海道本線を中心として通勤時間帯に定員制の快速列車として運行している。朝の上りと夕方以降の下り列車だ。休日には行楽客向けの臨時列車として中央本線でも見掛ける。座席を増やし、原則として着席していただくという意図で設計された電車である。

 215系の仕様を簡単に言うと、現在東京近郊で運用されている「2階建てグリーン車」の構造だ。2階建てグリーン車は編成の中間に連結されているけれど、215系は10両すべて、先頭車も普通車も2階建てとなっている。側面の扉は車端部に2つ。乗車すると階段があり、1階席へは階段を降りる。2階席へは階段を上がる。この構造は乗降に時間がかかる。扉が少ない上に、通勤電車として導入すると、扉付近に乗客が固まり、車内中央までスムーズに移動できない。

 215系は普通車でも着席整理券という割り増し料金を取り、停車駅を減らし、快適に乗っていただくという趣旨の車両だ。ほかの通勤車両のように「片側4扉で座席を減らし、なるべく多くの乗客をさばく」という考え方ではない。215系を山手線や京浜東北線に入れたらホームは混雑、遅延が頻発。パニックになる。

 小池氏の想定するダブルスタック方式のアイデアは、交通コンサルタント会社・ライトレールの社長、阿部等氏が提案した。阿部氏は著書『満員電車がなくなる日』の中で、「電車もホームも2階建てとし、床面積を2倍にして混雑率を下げる」というアイデアを披露している。かなり奇抜だ。そして、本書の販売にあたり、「帯」という販促ツールに小池氏が登場している。小池氏は刊行前の原稿を読み、推薦文を書き、写真も載せている。

●課題の多いダブルスタック方式

 ダブルスタック方式は混雑率低下の特効薬に見える。しかし、設備投資が膨大だ。電車の新開発は既存の車両入れ替えのタイミングで行う。製造コストは単純に2倍にはならないから、車両導入の負担は小さいだろう。しかし、プラットホームを2階建てにする、あるいは、電車の両側にプラットホームを設置し、それぞれを1階専用、2階専用とするには、すべての駅で改築が必要になる。駅構内で1階ホーム2階ホームの動線を分けるスペースも必要だ。電車の両側にホームを設置できるスペースも、ほとんどの駅にはない。

 単純に電車の車体を2つ重ねると、架線やトンネルの高さ、立体交差の見直しも必要だ。既存の建築限界で実施すると、大江戸線など小型地下鉄なみに天井が低くなる。グリーン車ならともかく、普通車で乗車率が上がれば空調設備の増強も必要だ。機関車けん引タイプではなく電車にするなら、モーターや走行用機器を配置するために、いくつかの車両は1階を使えない。215系は10両中4両が2階のみ、バスで言うハイデッカーである。つまり、電車である限り、総2階建てにしても、輸送量は目論見通り2倍にならない。

 そして決定的な問題として、1階と2階を完全に分離して運用できたとして、「非常時に2階の客はどのように脱出するか」という問題がある。ダブルスタック方式は新技術を使わないから、カネと時間があれば必ず実現できる。しかし「安全第一」を御旗に掲げる鉄道事業者にとって、非常口問題を解決しない限り、このアイデアは検討にも値しないだろう。

●時差通勤、通勤手当見直しなどが現実的

 満員電車がなくなる日という書籍は、ダブルスタックだけではなく、折りたたみ式有料座席の提案など、ほかにも斬新なアイデアがある。おもしろいと思うけれども、イチから新路線を作るならともかく、既存路線の改良という意味では実現性に乏しい。

 ただし、こうしたカンフル剤のような提案は必要だ。まずは世間をビックリさせて、現状を考えるきっかけとなる。その議論から現実的な解を求めた動きも始まる。しかし、読後感としては、大規模な路線(ハードウェア)改良よりも、小池氏も掲げている時差通勤などの手順的な解決が現実的だと思われる。

 また、小池氏は掲げていないけれども、通勤手当の上限引き下げ、または撤廃というやり方もある。企業や通勤者の反発を買うだろうけれど、そもそも通勤手当という制度のおかげで長距離通勤が助長されている。企業は都心に集中し、ベッドタウンは郊外へ広がってしまった。通勤手当がなければ職住接近が進み、オフィスは「遠い都心」「無人の都心」から郊外へ移転する。都市集中問題も片付く。

 そして、大前提として「満員電車はゼロにして良いのか」という議論も必要だ。鉄道事業者は通勤定期という割引券を大量に発行し、割引価格で利用する大量の乗客のために車両を増やし、ホームを延伸し、複々線化などの設備投資をしている。わざわざ安い運賃の客に対して設備投資をしているわけだ。これは「究極の薄利多売システム」であり、このシステムを維持することで収支のバランスを取っている。

 満員電車をゼロにする。つまり、1両あたりの乗客数を減らすなら、一人あたりの運賃を増額しないと、これまでの設備投資に対してバランスが取れない。だから通勤定期の割引率を下げたり、廃止したりという方策も検討に値する。通勤手当の廃止とセットにすれば、人々は電車通勤の距離を縮める方向で行動するだろう。自腹で高い定期を買うくらいなら、そのカネを家賃に回し、職場に近い部屋に住んだほうがマシだ。そうなれば鉄道利用者は減り、満員電車も解消できる。そして鉄道会社の収入は減る。

 満員電車で辛い思いをしている人々には気の毒だと思う。しかし、それで成り立っている社会が東京だ。あなたが定年を迎えるまでに、満員電車ゼロ政策が実現するかは分からない。満員電車が耐えられないなら、時差通勤を実践するか、会社のそばに引っ越すか、在宅勤務に切り替えるか、何か自衛手段をとったほうが幸せになれる。

 そして何よりも、小池さん、あなたはまず「電車に乗って」ください。自分の目と、押しつぶされる身体で現状を認識してください。

(杉山淳一)

最終更新:8月5日(金)15時47分

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