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被爆米兵捕虜を調査した広島・森重昭さんに聞く 同じ犠牲者追悼したいとの思い

山陽新聞デジタル 8月5日(金)23時30分配信

 5月のオバマ米大統領訪問をきっかけに、改めて核兵器廃絶への機運が高まる広島。6日の「原爆の日」を前に、オバマ氏と抱き合った被爆者の森重昭さん(79)=広島市西区=に被爆死した米兵捕虜についての調査や被爆71年への思いを聞いた。

 ―1945年8月6日午前8時15分の記憶は。

 「当時8歳。国民学校へ向かう途中、爆風で橋の上から川へ吹き飛ばされた。僕はけが一つなかったが、並んで歩いていた2人は大やけどをして後日亡くなったという。倒壊した家屋に挟まれた、いとこの母親は断末魔の声を上げながら焼け死んだ。きのこ雲の中は真っ黒の真っ黒。両手を顔の前に近づけても何も見えなかった」

 ―なぜ、米兵捕虜の調査を。

 「日本人同様、犠牲になった米兵を追悼したい純粋な思いから。38歳の時、原爆投下の数日前に米爆撃機が家の近くに落ちてきたという話を聞いたのが調査の始まり。爆心地から近い相生橋で死んでいた米兵の存在は広島では有名な話だった」

 ―会社勤めの傍ら、12人の身元を突き止めた。

 「日本各地や全米50州を回り、米国の新聞、雑誌を全て手に入れ調べに調べた。遺族を見つけ『名前や遺影を国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に登録してさしあげたい』とたどたどしい英文の手紙を送り、了承を得た」

 ―被爆死した捕虜の多くが乗っていた爆撃機の機長で、東京に連行され生き残った故カートライト氏と親交を深めた。

 「二十数年で手紙のやり取りは100通を超えた。よく話題にしたのは、なぜ戦争が起きたのか。けんかは一方が殴りつけたら相手も殴り返す。それは個人も国家も同じ。戦争さえなければ十数万人を殺すような原爆をつくる必要はなかった」

 ―5月27日夕、オバマ氏は約17分間に及んだ演説の中で、森さんの活動に触れた。

 「米国側から招待を受けたのは訪問の2日前。名前こそ出さなかったが、参列者の一番前で必死に英語を聞いていたのですぐに気付いた。米政府は捕虜の氏名についてノーコメントを通してきたが、僕がやってきたことは正しかった。大統領が認めてくれた、そのことがうれしかった」

 ―被爆71年の「8・6」をどう迎えるか。

 「あの恐ろしさは一生忘れない。簡単な言葉だが、平和が一番。命の尊さを再認識する機会にしたい」

最終更新:8月5日(金)23時30分

山陽新聞デジタル