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競馬予想のカリスマ・清水成駿さん死去 不屈の巨星が残した名ゼリフ

東スポWeb 8月6日(土)7時28分配信

 競馬界の巨星墜つ――。競馬予想家、評論家として第一線で活躍していた清水成駿(しみず・せいしゅん)さんが4日午後3時17分、東京都内の病院で死去した。67歳だった。本紙で連載中だった「馬單三國志」をはじめとする数々の名物コラムで、競馬ファンを魅了し続けてきた“カリスマ”は、がんとの壮絶な闘病生活の中でも、決してペンを手放すことはなかった。不屈の男が最期まで追い求めていたものとは何だったのか!?

 カリスマ、孤高の男、予想神…冠した称号は数知れず。残した的中伝説もまた数知れない。

 ジャパンカップでは日本馬有利の声が支配的なときほど、外国馬に敢然と◎を打ち、牝馬の日本ダービー制覇は難しいとの声が強まれば、あえてウオッカに◎を託す。反骨心に満ちた骨太予想は多くの競馬ファンを魅了した。なかでも業界を震撼させたのが、あの有名な1998年日本ダービーの“成駿節”だ。

「ダービーくらい1点でしとめたいものである。たまには女房に帯の札束を渡すのも悪くはあるまい」

 敢然と◎を打ち込んだボールドエンペラー(14番人気2着)とスペシャルウィークとの馬連は1万3100円。しかし、配当うんぬんの話ではない。肩身の狭いお父さん方の射幸心を強烈に刺激した名文は今もなお、競馬ファンの間で語り継がれ、多くの競馬予想家の“バイブル”にもなっている。

 圧倒的な筆力に裏打ちされた有無を言わさぬ存在感。これこそが清水成駿と他のあまたの予想家を分かつものだ。

「競馬を一生懸命勉強したら、アクシデントがない限り、◎は3着以内に来るよ。それがプロってもんだろう」

 かの有名な名ゼリフ。そこには競馬予想家としての強烈な自負はもちろん、計算し尽くされた“演出”があった。

 当たるか、外れるか。白黒が明快な競馬予想は時に残酷なものになる。当たれば称賛を集めるが、逆に外れれば…。それでも自身をあえて「圧倒的な高み」に置くことで、熱狂的な“信者”とともに、いわゆる“アンチ”を生み出す手法を取り続けてきた。

「俺を使って、もっと遊んでいいんだよ。何も遠慮はいらないぞ」

 本紙編集部への要求は一貫してこの一点だけ。競馬予想は当たり、外れだけではない。徹底的にエンターテインメント性を追求した先にこそ、誰もまだ到達していない新たな競馬予想家像があることを誰よりもよく知っていた。だからこそ、熟練ファン層をうならせる“高みの予想”を続ける一方で、時にはピエロになることもいとわない。新たなファン層を開拓するためなら戦国武将はもちろん、ロシアの文豪、お茶の水博士、月光仮面…何にでもなった。

 もちろん、硬軟自在のプロフェッショナルな男をもってしても“仮面”をかぶり続けることは、尋常ではない精神力を必要とする。

「いや~すまんな。最近はあまり当たってなくて。そっちに迷惑はかかってないかい?」

 決して表には出ないところで、時に見せる弱気な一面と周りへの気遣い。これこそが予想に魅入られた者にとどまらず、関わる者すべてを信者へと変えてしまう清水成駿の「人間力」だ。

“予想の神”でありながら、“人間くささ”も併せ持った不世出の予想家は、病魔とも壮絶な闘いを繰り広げ、病床でも最後の最後までペンを執ろうとする気骨を見せながら、この世を去った。

☆しみず・せいしゅん=1949年生まれ、東京都出身。72年明治学院大学経済学部卒業後、競馬専門紙「1馬」に入社。トラックマンとしてキャリアを積み、35歳という異例の若さで編集長に就任。長年、人気コラム「スーパーショット」を掲載し、“孤独の◎”を打つ予想家として大きな注目を集めた。2001年の「1馬」退社後も、あらゆる媒体で競馬予想家、評論家として一線で活躍。著書も多数。本紙には82年から「うら道馬券術」「オトコの馬券学」「男なら勝負だ!!」ほか、数々のコラムを掲載。02年からは「馬單三國志」のタイトルで週末の紙面に確定予想を展開した。07年日本ダービーで牝馬ウオッカ(3番人気)に打った“衝撃の◎”はあまりにも有名。自身のラストダービーでも3番人気マカヒキを敢然と“1強指名”し、◎★○で鮮やかに的中させた。

最終更新:8月6日(土)7時32分

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