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4度も姿を変えた伏見城、最後はバラバラに……

ITmedia ビジネスオンライン 8月6日(土)8時43分配信

小日向えり: 先週(7月31日放送)の『真田丸』はとても切なかったですね……。

編集部F: おもらしするなど、豊臣秀吉のどんどん老いていく姿が寂しいですね。あと、茶々が息子の豊臣秀頼にべったりで、もはや秀吉にほとんど興味を示してない様子も……。秀吉は伏見城で亡くなるわけですが、ドラマの舞台が伏見城に移ってから、最期に向かって一気にスピードを増していますね。

【伏見城の模擬天守】

小日向: 伏見城といえば、4回も場所や作りを変えている珍しいお城なのですよ。

編集部F: 大河ドラマの中でも「慶長の大地震」(1596年)で崩壊してから建て直していますよね。

小日向: 元々は秀吉が隠居用の屋敷を構えたところから始まっています。かつて伏見の地には巨椋池(おぐらいけ)という大きな池があって、そのほとりに屋敷を作りました。ここは月の名所と知られ、大坂城とも水運でつながる便利な場所だったのです。

 その隠居屋敷を拡充したのが指月(しげつ)城で、地震で壊れた後、場所を移して木幡(こはた)城を築きました。秀吉が死去すると徳川家康が入城したのですが、関ヶ原の戦いの際に西軍に攻められて焼失します。その後、家康が再建しましたが、徳川秀忠、家光のころに廃城となりました。

編集部F: 京都に今ある伏見桃山城は、遊園地内に作られた模擬天守ですが、伏見城が本来あったのは別の場所だったのですね。子どものころに一度行ったことがあり、そのときは本物の城だと信じていました。

小日向: さまざまな変遷があった伏見城ですが、特に指月城はずっと「幻の城」と呼ばれていました。ところが昨年、石垣や堀の跡、金箔を施した瓦などが発掘されて大きなニュースになりましたね。

編集部F: こういうところに歴史のロマンを感じます。ところで、江戸時代になって徳川家はなぜ伏見城を廃城にしてしまったのでしょうか。

小日向: 詳しい理由は分かっていませんが、大坂の陣で豊臣家が滅亡した後だったこともあって、伏見城は茶々の怨念がこもっていそうで不吉だと思ったのかもしれませんね。伏見城は解体され、柱や床などは各地の城や寺などで利用されました。

編集部F: 確かに伏見城の遺構は多いですね。現存しませんが、二条城にも天守が移築されたそうですし。けれども、仮に茶々の怨念があるのであれば、各地に散らばるほうがより脅威な気はしますが(笑)。

小日向: そうですね(笑)。ただ、良い資材などを再利用しようというエコの精神のほうが勝っていたのかもしれませんね。伏見城の再利用という点では「血天井」も有名です。

編集部F: 血天井?

小日向: 先ほど話した関ヶ原の戦いのときに伏見城を守っていたのが、徳川家康の腹心、鳥居元忠でした。約10日間、西軍の攻撃を必死で防いでいたのですが、ついに力尽きて、家来など380人とともに伏見城で切腹しました。けれども、元忠などの遺体は関ヶ原の戦いが終わるまで2カ月ほど放置されていたため、床板に血痕が染み付いて取れなくなってしまったのです。

 死んだ者たちを供養するために、その床板を外してお寺の天井にしたのが血天井です。京都の養源院や源光庵などで見ることができますよ。

最終更新:8月6日(土)8時43分

ITmedia ビジネスオンライン