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広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた「人間の良心」

BuzzFeed Japan 8/6(土) 6:20配信

「広島」の死者の幻影をみた米兵は、錯乱していたのか?

今から、約60年前のことだ。広島の原爆投下作戦に加わり、「英雄」と呼ばれたアメリカ軍パイロットがいた。彼は帰国後、原爆で亡くなった人たちの幻影に怯え、苦悩する。やがて「原爆投下は間違いだった」と口にするようになった、彼、クロード・イーザリーは精神が錯乱したとみなされ、精神病院に入院させられた。【石戸諭 / BuzzFeed】

イーザリーの苦悩を、精神錯乱で片付けていいのか。

こう考えたのは、ユダヤ人哲学者ギュンター・アンダースだ。1902年ドイツ・ブレスラウ(現在のポーランド)生まれ。核をテーマにした著作で知られ、近年、再評価が進む哲学者だ。

1958年、来日したアンダースは広島や長崎を訪問し、被爆者と対話を重ねた。帰国後、アンダースはイーザリーとの往復書簡を始め、社会に問いかけた。

あの惨劇を知り、巨大な組織の中で『ただ命令に従っただけだ』と言い切るのと、組織の歯車でありながら苦悩すること。どちらに良心があるのか。

1945年8月6日、広島の上空約1万メートル。原爆を積んだエノラ・ゲイ号とともに先導機「ストレート・フラッシュ号」が旋回していた。

イーザリーは、このストレート・フラッシュ号に乗っていた。

イーザリーは天候を確認し、日本軍から攻撃がないかを調べていた。敵機は追ってこない、目標地点である橋はよく見えた。「これは理想的な天候だ」。

彼は、エノラ・ゲイに向かって暗号を送った。「準備完了、投下」。そして午前8時15分、広島に原爆が投下された。

帰国して英雄視された彼は、奇行を繰り返す。酒に乱れたと思えば、郵便局を襲う。金を奪うわけでもないのに。
原爆によって死んでいった広島の人々の幻影に怯えた、というのだ。幻影に苦悩したイーザリーは、精神病院に入院させられ、社会から隔離されていく。
人々は彼を英雄ではなく、「精神がおかしくなった病人」と扱うようになった。
広島を訪れたばかりの、ユダヤ人哲学者はペンをとった

第21回原爆死没者慰霊式、1966年 時事通信
イーザリーの一件が報じられた「ニューズウィーク」をたまたま読んだギュンター・アンダースは、ここに哲学的な問いを見出し、筆をとった。最初の手紙を出した日付は1959年6月3日、とある。
宛先は「テキサス州ウェイコー、復員局病院。元アメリカ空軍少佐 クロード・R・イーザリー様」
前年、反核団体に招待され広島・長崎を訪問したばかりだったアンダースは、手紙の中にこんな考えを綴る。
「軍という巨大な機械の中の一本のネジーー26歳の軍人として”使命”を遂行されたときのあなたは、まさにこの一本のネジだったのですーーを相手にして、その責任を追求しようなどと考えているものは、これら生き残った人びと(※広島の人びと)の中にはただの一人もいません」
「あなたのことを憎んでいる人間など、一人だっていないのです」(「ヒロシマ わが罪と罰」筑摩書房)

アンダースは広島で、どんな証言を聞いたのだろうか。訪日の記録「橋の上の男」(朝日新聞社)から引いてみる。

ある被爆者の男性の証言。彼は全身に火傷をおいながら、妻と二人で逃げようとした。妻が何かにつまずく。男性の父親のようだったが、いったい誰なのか、生きているのか、死んでいるか。まったく判別できない。彼の判断は揺れ動く。

倒れていた父親らしき人は「早く逃げろ」と呟く。彼は父親だと思って近づいてみたが、本当に父親なのか確信を持てなかった。

「逃げろ、逃げないとおまえたちも危ない」。父親らしき人は叫ぶ。妻は「早く逃げよう」と言い、結局、見捨てたまま逃げた。逃げる途中、「倒れている人を見るたびに、私はあっ、父だ、と思いました」

アンダースは思う。誰が「見捨てた」という行為をとがめることができるだろうか。
哲学者は、じっと頭を垂れ、恥じらいをもって彼の話を聞いた。本来なら、人として正しいのは、父親を助けることだ。しかし、原爆による極限の状態では、その選択肢自体が奪われた状態になる。
被爆者は、地震や洪水など天災が起きたかのように語っていた。そこに「憎悪」を感じなかったという。アンダースは戸惑い、驚きながらも被爆者の言葉を受け止めていく。

広島の病院を訪れ、長崎にも足を運ぶ。言葉を拾い、議論を重ねた。
帰国後、アンダースは自身の哲学を深めることになる。核の時代の人間のあり方について、である。

イーザリーにだした手紙の返事が、本人から届く。文通を望むものだった。手紙はいずれ公開することも同意し、2人は手紙のやり取りを重ねていく。
その中には、広島への思いを綴ったものもあった。

「ギュンター、私は日本の人たちに書いた手紙の全部を思い出すことはできませんが、しかし……(中略)つぎのようなことを書いたことがあります。自分は広島を破壊するために”ゴー・アヘッド”の命令を下した当の少佐であること。自分には、この行為を忘れることができないこと」

「この行為は一つの罪悪であり、そのために自分は非常な苦しみを感じなければならないこと(中略)広島の廃墟の下に眠っている人びとが泣きながら、平和を求めてさけんでいる声がきこえてきます」

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最終更新:8/6(土) 6:20

BuzzFeed Japan

北朝鮮からの脱出
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