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突然の休部で変わった野球人生 今も受け継ぐ名門野球部の教え

Full-Count 8月6日(土)16時20分配信

休部の名門野球部から羽ばたいた一人の捕手、今も受け継ぐ「日産魂」

 今年の都市対抗野球大会に千葉市代表として出場したJFE東日本野球部。惜しくも1回戦で敗退してしまったものの、前身の「川崎製鉄千葉」時代を含め、出場22回を誇る名門だ。今年からチームのキャプテンを務めるのは、日産自動車野球部の休部に伴い、1年でJFE東日本野球部に移籍した中野大地捕手(29)。「川崎製鉄千葉」時代を含めた長い野球部の歴史の中で、他のチームから移籍してきた選手がキャプテンを務めるのは初めてだ。

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 明治大学時代、いくつかの企業から声をかけてもらっていたが、大企業であり、野球部も神奈川の強豪ということで、日産自動車野球部への入部を決めた。しかし、入社前の2009年2月、年内いっぱいで野球部が休部となることが決まった。

「入社する年の1月から、チームの寮に住んで練習をしていました。その翌月、2月に休部が伝えられました。前年に『三菱ふそう川崎』が休部になり、強いチームでもそんなことがあるんだと学生ながらに思っていましたが、まさかそれを自分が経験するなんて、考えてもいませんでした」

 中野は、休部を告げられた日のことを鮮明に覚えている。

「グラウンドで朝から練習をしていたら、寮の食堂に集合するように言われました。その日が決算報告の日だったこともあり、休部を感づいている先輩たちもいました。『野球部、陸上部、卓球部が休部になることが発表される』と部長に言われた時は、右も左もわからない新人でしたが、体がずっしりと重くなったのを覚えています。

 事の大きさにびっくりして、この先どうしようというところまで考えが及びませんでした。次の日、スポーツ紙が1面で取り上げているのを見て『これだけ影響力のあることなんだ』と改めて思いました」

1年だけでも日産野球部でのプレーを希望

 その年に入社予定の新人は中野を含め6人。休部を受け「入社しない」という選択も可能だった。当時の久保恭久監督からは「今後どうするか考えてきてくれ」と話があった。

「『本当に申し訳ない』と監督に言われました。それでも、新人6人全員、1年だけでも入社させて欲しいと伝えました。日産で野球をやりたいという気持ちで練習をしていました。野球を続けられるかわからなかったですが、まずは与えられた環境で精いっぱいやろうと思いました。野球をやりたい気持ちが強かったですが、休部後は社員として働くことも考えました」

 休部の年の都市対抗野球大会が終わったころ、JFE東日本野球部から移籍の話をもらった。千葉製鉄所の近くで生まれ育った中野には、「JFE東日本」という会社には馴染みがあったという。

「自分の地元の企業ということもありましたし、大学生の時にもお話をいただいていて、もう1回声をかけてくれるなんて本当にありがたかったので、移籍を決めました」

 中野は移籍後初年度からレギュラーとして活躍。その年の都市対抗野球大会では8強入りを果たした。

「会社も違うし、チームも違う。もちろん、雰囲気も違いました。JFE東日本では新人でしたが、日産で1年やった経験を活かした方が、自分のためになると思って遠慮せずにやらせてもらいました」

 JFE東日本野球部に移籍してきた当初、「こういうノックやっていたけど、あれはどうやるの?」「日産のランナーはどうしてああいうリードを取るの?」「あの時はどういうサインが出ているの?」と、日産の野球のことをチームメートに聞かれたという。

「対戦していても、気になっていたんだと思います。それだけあのチームには影響力があった。対戦相手から興味を持ってもらえるチームでした」

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最終更新:8月6日(土)16時20分

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