ここから本文です

黒ヒョウたちは“毒親”なのか?映画『ジャングル・ブック』試写レポート

dmenu映画 8月8日(月)22時0分配信

ウォルト・ディズニーの遺作と言われる名作アニメ『ジャングル・ブック』が、公開から約50年の時を経て、最新のCG技術によって実写映画として蘇ります。8月11日より全国公開される実写ディズニー映画『ジャングル・ブック』(ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン配給)は、“自分らしさ”をテーマとした作品なのですが、なんだか“子育て”についても考えさせられるような……?

せっかく道具作りの才能があるのに…

主人公はジャングルで暮らす少年モーグリ(ニール・セディ)。赤ん坊のときにジャングルに取り残された彼は、黒ヒョウのバギーラによって母オオカミのラクシャに預けられて、オオカミの群れの中で育てられました。なのでモーグリは可能な限りオオカミとして振る舞うようにしつけられているのですが、これが結構見ていて大変そう。

まずオオカミと同じようにジャングルを駆け抜けることが求められるのですが、ツルを渡ったり、オオカミがしないようなことをしてはダメ! また生きる上で道具の使用も禁じられています。モーグリはとても賢い子供なので、水を飲むための器など身の回りの植物から、さまざまな道具を作り出すことができます。だけどオオカミはそんなことをしないから、やっぱりダメ。バギーラたちから叱られてしまうんです。

彼らはけっしてモーグリに意地悪しようとしているわけではありません。むしろジャングルの中、動物たちの中でたった1人の人間であるモーグリが辛い目に合わないように心配しているからこそ、周りに溶け込めるようにアレコレと口出ししてしまうんです。でも映画を見ている側の人間としては、やきもきしてしまう。モーグリ、なんだか窮屈そう……。

子供を持つ親であれば、バギーラの気持ちもわかるのかもしれません。それでもやっぱりモーグリの可能性を奪っているような、少し“毒親”的な印象さえ感じてしまうのは、子供っぽい見方でしょうか?

“第2の親”は放任主義!?

オオカミたちと一緒に暮らしていたモーグリですが、人間を憎むトラのシア・カーンに狙われて、自ら群れを出ることを選びます。そのまま人間の村に行く手筈だったのですが、案内のバギーラとはぐれてしまい……。

群れを出たモーグリは、自分が守られていた存在だったことを痛感します。ジャングルには危険がいっぱい。ただ、良いこともありました。それはクマのバルーと出会えたこと。ハチミツが大好きなバルーは大変な怠け者で、モーグリにハチミツ採りを手伝わせます。ですが怠け者だからこそ「ハチミツが食べられるなら、なんでもいい」という態度で、モーグリが道具を使うのにも何も口出ししないのです。

バギーラとラクシャが第1の親だとしたら、バルーは第2の親といったところでしょうか? バルーのもとでモーグリはのびのびと才能を開花させます。ただバルーはかなりの放任主義なので、見ていてハラハラする人も多そう(実際モーグリはハチに刺されています)。保護者としてバギーラたちとバルー、どちらの姿勢に共感できるかで人は分かれそうです。いや、本当はほとんどの親たちがバルーに憧れながらも、どうしてもバギーラみたいに心配になっちゃうのかも……

“自分らしさ”探す旅の行方は?

さまざまな動物たちと出会い、モーグリはどう生きていくことを決めるのか? そしてシア・カーンとの闘いの行方は――? それは作品を見てのお楽しみですが、エンディングでのモーグリの生き生きとした表情に清々しい気持ちになれるはず。成長した息子の姿に、バギーラたちだってどこか満足げな表情なのでした。

(文/原田イチボ@HEW)

最終更新:8月8日(月)22時0分

dmenu映画

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。