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空襲の惨禍語る 寒川町でイベント

カナロコ by 神奈川新聞 8月8日(月)7時3分配信

 戦時中の体験談などを聞きながら平和の尊さを考えるイベントが7日、寒川町宮山の寒川総合体育館で開かれた。太平洋戦争末期に起きた平塚空襲できょうだい3人を失った市民が、その惨禍を語った。

 講演したのは、「平塚の空襲と戦災を記録する会」会長の江藤巌さん(83)=平塚市中原。

 米軍は1945年7月16日深夜から17日未明にかけて平塚市を空襲。B29爆撃機133機が、約100分間で40万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下し、市民328人以上が犠牲になったという。

 12歳だった江藤さんはその夜、父にたたき起こされた。表に出ると、東の空が明るいことに気付いた。満月と錯覚したものは、ゆっくり落ちてくる照明弾だった。「間違いなく、空襲が来る」

 しばらくして聞こえてきたのは、集中豪雨よりもっと大きなザーッという音。しかも次第に大きくなっていく。「恐ろしくて、耐えられなくなった」。裏庭の防空壕(ごう)に逃げ込もうとした瞬間、「強烈な光が(目に)飛び込んできて、目の前が真っ白になった」。

 次に感じたのは全身の熱さ。「『熱いよ』『熱いよ』と泣き叫んだ」。すぐに父が火だるまの江藤さんを抱え、防火用水に放り込んだ。江藤さんは顔や首、両足内側の足首から太ももにやけどを負い、1週間ほど意識を失ったが、何とか一命を取り留めた。防空壕に避難した姉(16)、妹(10)、弟(7)は鉄の破片が飛び散ったり、やけどを負ったりして、命を落とした。

 江藤さんは「空襲後に母が言った、『空襲だからといって逃げたりしないで、そのまま家で寝ていれば何でもなかったのに…』という言葉が忘れられない」と振り返った。

 イベントは、9条の会さむかわなど6団体でつくる実行委員会などの主催。町民ら約120人が参加した。

最終更新:8月8日(月)7時3分

カナロコ by 神奈川新聞