ここから本文です

<イラク>フセイン政権時代 毒ガス攻撃を受けた町で日本の原爆犠牲者追悼式(写真4枚)

アジアプレス・ネットワーク 8/9(火) 10:37配信

◆「イラクのヒロシマ」と呼ばれるハラブジャの町で

8月6日、イラク北東部ハラブジャで、広島・長崎の原爆犠牲者を追悼する集会が開かれた。ハラブジャは1988年のイラン・イラク戦争の末期、旧フセイン政権によってサリンなどの毒ガス兵器が撃ち込まれ、一般市民5000人以上が殺害された。化学兵器攻撃の悲劇を日本の原爆投下と重ね合わせ、住民たちは町を「イラクのヒロシマ=ハラブシマ」とも呼び、8月に追悼集会を開いてきた。(玉本英子)

【関連写真を見る】<イラク>ハラブジャ毒ガス攻撃の関与企業を告発へ(写真2枚)

追悼集会が開かれたハラブジャ虐殺記念館には今年50人が集まった。参加者のひとり、ホシュマンド・ムラッドさん(32)は4歳の時、ハラブジャ攻撃で両親や親戚30人以上を失った。両親の遺体を見たことが忘れられないという。

現在、イラクでは武装組織イスラム国(IS)が各地で戦闘を続けているが、一部で化学兵器を使用したとも伝えられ、住民には不安も広がっているという。
「再びイラクで化学兵器が使われたと聞くのは悲しい。国際社会の協力でなんとか止めてほしい」とホシュマンドさんは、電話でのインタビューに答えた。

集会には多くの地元メディアが取材に訪れ、参加者は原爆犠牲者への哀悼の意を表すとともに、「ヒロシマとハラブジャの2つの悲劇はともに人道に反する罪」などと訴えた。

ハラブジャがあるイラク・クルド自治区では、地元クルド兵とISが対峙しており、戦闘地域を中心に住民も含めて多数の死傷者が出ている。(玉本英子)

【ハラブジャ事件】
イラク・イラン戦争末期の1988年、イラク北東部のハラブジャで、政府軍が住民に対しサリンなどの成分を含む化学爆弾を投下し、5000人以上が犠牲となった。この町を住民たちは「イラクのヒロシマ=ハラブシマ」とも呼ぶ。人びとはいまも心臓疾患や気管支障害など、化学兵器の後遺症に苦しんでいる。

【←写真】1988年3月ハラブジャへの化学兵器攻撃では5000人が犠牲となった。写真は犠牲者の名前が刻まれた墓碑(2006年撮影・玉本英子)

最終更新:8/9(火) 13:35

アジアプレス・ネットワーク