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リオ五輪前に解散した、群馬県の日系ブラジル人アイドル「リンダ3世」誕生の背景を振り返る

MusicVoice 8月9日(火)13時52分配信

 リオ五輪の開幕で再び注目を集めるはずだった、群馬県の日系ブラジル人コミュニティから生まれたブラジリアン・アイドルユニットのリンダ3世。開幕を迎える約4カ月前に、ひっそりと解散をした。

【写真】取材当時、撮影に応じたリンダ3世

 メンバー全員が日系ブラジル人。2013年に結成し、その翌年に開催されたサッカーW杯ブラジル大会で脚光を浴びた。ウリは、独自のサウンド「B-POP」。サンバなどのブラジル音楽の要素を取り入れたパフォーマンスだった。

 メンバーの入れ替わりもあったが、取材をおこなった2014年5月当時は、1人を除いて群馬育ちだった。学業と両立しての活動だったが、その魅力が知れ渡り、国際交流イベントやファッションショウにも出演するなど、今後の活躍が期待されていた。

 当時おこなった小媒体の取材は、なぜ群馬県にブラジリアン・アイドルユニットが誕生したのか、その背景を調査するものだった。彼女達に直接話を聞くことともに、周辺役場やブラジル料理店の関係者にも尋ね、調べた。そこで浮かび上がったのは、大泉町という地域の特性だった。

 彼女達の活動拠点だった群馬県大泉町および太田市、なかでも大泉町は“群馬のブラジル”とも呼ばれ、人口約4万人のうち外国人の割合は約15%で、うち10%が日系を含むブラジル人で占める。大泉町に隣接する太田市も2633人の日系ブラジル人がいる。=2014年調査時=

 同地域には戦前、航空機や発動機を開発していた中島飛行機などの工場があった。終戦などにより企業は解体。その後は富士重工業などに受け継がれ、同町を含む周辺地域には自動車メーカーや家電メーカー、食品関連メーカーなどの工場が立ち並んだ。

 好景気に沸いていた1990年、日本の出入国管理法が改正されたことで日系3世までが国内で自由に働けるようになった。なかでもブラジルやペルーの中南米諸国から多く来日していた日系人の入国が容易となり、当時、人手不足を抱えていた下請け工場などは積極的に就労者として受け入れた。

 日系ブラジル人の増加に伴い、コミュニティが形成されるようになった。これが“群馬のブラジル”と呼ばれるようになった始まりだとも言われている。

 そうした背景のもとで、コミュニティの有力者が日本で暮らすブラジル人に元気を与えたいと考え、結成したのがリンダ3世だった。彼女らもまた群馬育ちの日系4世。学校は地元公立校に通い、食事も文化も日本。ただ家ではブラジルの母国語、ポルトガル語を使用していると話していた。

 同町には彼女達の他にもご当地アイドルグループが存在していた。彼女達は日本人で構成されていた=当時はいた。現在は未確認=。そして、地域のイベントに積極的に参加し、地域活性に貢献した。リンダ3世も同様だった。

 それは地元の声からもうかがうことができる。ブラジル料理を提供するレストラン店で働く女性はリンダ3世を「ここでは有名なグループ。応援しているわ」と語り、地元役場関係者も「ブラジルイベントにも出演されていました。地元では有名で、応援しようという人は多いと聞いています」と話していた。

 2014年のサッカーW杯ブラジル大会では、ライブビューイング会場で熱気に沸く、大泉町の様子がテレビメディアなどに映し出された。それと同じように、ブラジルカラーの黄色と緑のユニフォームを着て、サッカーボールを持つリンダ3世のグラビアが週刊誌を飾った。そして、リオ五輪もどうように同町の様子がテレビで紹介された。しかし、リンダ3世が露出することはなかった。

 リオ五輪開催を目前にしての解散。公式サイトには「学業を優先させていただくための苦渋の決断」とその理由がしたためられている。メンバーの一人、サユリは取材当時、こう語っていた。「いつかブラジルでライブがしたい」。その日が来ることを願いたい。(文・木村陽仁)

最終更新:8月9日(火)15時52分

MusicVoice