ここから本文です

ハマから平和見つめ 日本郵船博物館 戦没社員を追悼

カナロコ by 神奈川新聞 8月9日(火)7時3分配信

 横浜市中区の日本郵船歴史博物館に、長崎市の平和公園にある平和祈念像で知られる彫刻家、北村西望(せいぼう)(1884-1987年)が制作したもう一つの祈念像が展示されている。同じ55年の完成で、北村が「是(これ)人種を超越した人間 時に佛(ほとけ)時に神」とした平和祈念像の穏やかな表情と似ている。戦争で犠牲になった多くの民間人らを悼み、世界平和を願った北村の強い思いが伝わってくる。

 横浜の「殉職戦没社員冥福祈念像」は、やむなく戦争へ参加させられ亡くなった社員を追悼するため、日本郵船が北村に制作を依頼したもので、創立70周年に当たる55年に建立した。

 東京の本店から93年に横浜に移され、現在は歴史博物館の常設フロアで展示されている。像は高さ約1・6メートルで、長崎の平和祈念像に似たたくましい男性がまぶたを閉じ、あぐらをかき、胸の前で右手を掲げて静かに祈りをささげている。

 第2次世界大戦では多くの商船が国に徴用され、船員は軍に関係するさまざまな輸送を担った。攻撃を受けて沈没する商船が相次ぎ、日本郵船は所有する船舶185隻を失い、5312人の社員が犠牲になった。戦争に参加した船員の死亡率は43%。海軍兵員に比べて2・6倍に上った。

 北村は、長崎の原爆犠牲者らの冥福を祈る平和祈念像の完成に当たり「あの悪夢のような戦争 身の毛もよだつ凄絶(せいぜつ)悲惨」で始まる作者の言葉を寄せ、肉親や子どもたちが犠牲になる戦争への憎しみと平和への願いを示していた。

 歴史博物館館長代理の東川猛さんは日本郵船が北村に祈念像の制作を依頼した経緯は分からないとしつつ、「同時期の制作で、北村が二つの祈念像に込めた思いは同じではないか」と推測する。

 その上で「人々の暮らしを豊かにするはずの貨物船が次々と徴用され、奇跡的に生き残った氷川丸以外はほとんどが暗い海の底に沈んだ。真っ先に戦争に駆り出され、多くの犠牲を出しつつも再興を遂げてきた海運の歴史を知ってほしい」と話している。

 問い合わせは同館電話045(211)1923。

最終更新:8月9日(火)15時8分

カナロコ by 神奈川新聞